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神戸の新しい魅力に出会うウェブマガジン

シタマチコウベ

下町日記

てくてく中央市場編 by 角野史和・前畑洋平:後編

vol.10

2019.04.05

第7弾は、「神戸市中央卸売市場」付近をてくてく探索しながら飲み歩き。はしご酒人は、まちづくりコンサルタントで建築士の角野史和さんと産業遺産コーディネーターの前畑洋平さんです。町歩きのプロであるお二人の手にかかれば、何気ない光景もワンダースポットに早変わり!夕方16時に中央卸売市場を出発し、漁港や運河、トラック乗りが集まるデカ盛り店、倉庫ビルにかまえるシルバーアクセサリー屋、おちゃめなお母さんが迎えてくれる食堂、100年の歴史を持つ角打ち等、このエリアの魅力溢れるスポットを余すことなく巡ります。今回は、ちょっとした雑学の織り混ざったユーモアたっぷりのお二人の探検を2部構成でお届けします。

文:角野史和 写真:角野史和・前畑洋平・山口葉亜奈

 

<前編を読む>

兵庫港を後にして、つぎに2人が向かったのは中央市場の北側。早速何か発見しています。

前畑・角野:カギですね。

 

前畑:このカギのある橋が跨いでいるのが運河ですね。さっきの中央市場は運河に囲まれた中之島にあります。
角野:運河に降りる階段がありますね。すんごい細い!
前畑:ちょっと僕ディスカバリーしてきます!うぉー!

さて、この防潮堤を舐めるように歩くと港が開けてきました。兵庫埠頭をぐるっと囲む港です。
兵庫埠頭の周辺には今でも古き港の風情が残っています。

角野:おーー。なんかすごい建物が出てきましたねー!
前畑:この建物は旧加藤海運本社ビルで、昭和初期に建てられたそうですよ。
角野:この窓まわりの石は一枚物ですね!!これはすごい!
前畑:今は本社ビルは移転していて、この建物は映画のロケなどに使用されているみたいです。

二人はディスカバリーを続けながらさらに進む。

また、何か発見しましたね。

前畑・角野:リンゴですね。
前畑:このリンゴがある近くはかつての兵庫津で平安時代に平清盛が貿易港として整備した地ですよ。明治には初代県庁が置かれて政治の中心になっていたようです。今でもその名残として、兵庫商人の社交場だった岡方倶楽部が残されていたり、、。
角野:前畑さんそれはいいんですけど、飲みにかないとね。

前畑・角野:あ!

和洋食 山栄

いい具合にありました。すんごい昔ながらの本屋さんの横に並んだ「山栄」という文字。
さっそく入ろうとすると、ご近所さんが談笑しています。これは期待できる。

ここは、南仲町にある「和洋食 山栄(さんえい)」。食堂兼居酒屋というかんじですね。
冷蔵ショーケースから自分でとるタイプのおかずもある。筑前煮と菜の花の和え物をとって、まずは乾杯。
ちなみに筑前煮はお母さんが温めてくれる。
さらに壁のメニューに目を向けると「かす汁」の文字が。寒空の下を歩いてきたので迷わず注文。
運ばれてきた「かす汁」を3人(実はもう一人いる、カメラを忘れた同行スタッフ山口。)で分ける。体が温まる。

 

角野:ここは長そうですね。
おかあさん:50年くらいかな。メニュー書いてあるけど値段はほぼそのままやね。
前畑:ほんまや!カツ丼が安い!頼みましょーよ!
角野:お客さんはどんな人が多いですか?
おかあさん:このあたりは造船が盛んやったけど、そのときは、職人さんが多かったねえ。

とにかくお母さんがかわいらしいお店だ。壁に目をやるとメニューに混じって詩画が飾ってある。お母さんが描いたものだそうだ。これもまた、心にしみる。
「姿、形は違っても 中身は一緒です ながめても切っても バナナ」
「使う時せまい部屋も 掃除のときは広くなる ややこしいですね」
最後にお会計、となったとき、「ウチは今でもこれなんです。」とそろばんを取り出す。思わず前畑氏もパチリ。
なんともいえない温かい気持ちになって、3人は店を出た。外はもう暗い。

とにかくこの辺りは運河だ。キャナルタウンだ。新川運河キャナルプロムナードを歩くのだ!
角野はこの近くの高校(通称:県工)出身なので、見慣れた景色だ。ここは昔からこの辺の中高生のデートスポットだったが、イオンができてからは、少しオトナのデートスポットにランクアップしたような気もする。

再び南に向かって歩く、前畑氏の案内で近代の優美な3連アーチ橋「大輪田橋」のたもとに降りる。この橋の下で、戦時中B29によって多数の被爆死があったそうだ。光もあれば暗い過去もある。そしてこのまちは古代〜現代まであらゆる時代の層が重なりなって形づくられているのだ。

そうこうしているうちに、うっかり新川橋を越え、和田岬に来てしまった。
夜でもディスカバリーは続く。

ちらっと、路地のスキマから、酒屋さんらしき光が見えた。ここは和田崎町、「堀口商店」と看板が出ている。
のれんが掛かってないが明かりがついているので、ダメ元で入ることに。

堀口商店

角野:まだ、やってますか?
お母さん:片付けよるけど、まだいいよ〜。あ、写真はやめて~。
お話するのは大好きだが、写真は苦手だとのこと。その分たくさんお話をしてくれた。いいお母さんだ。片付けかけていたおでんを出してくれた。うまそう。寒いので熱燗で乾杯!

前畑:ここは、お客さんはどんな人が来てくれるんですか?潜水艦乗りのひととか来ます?
お母さん:三菱の人とか、中に入ってる協力会社の人とか、よく来てくれるけど、情報とか厳しいみたいね。
前畑:国防機密があるからですかね。当たり前といえば当たり前ですね。
お母さん:潜水艦じゃないけど、私の小さい頃「和田岬小学校」の子は船の進水式を見せてもらった。このまちの子どもの特権よね!

お稲荷さんの近くにお店があり、お店の中にもお稲荷さんがある。すごく歴史を感じる店内だ。それにしても、おでんのスジがむちゃくちゃ柔らかい。大根もとてもよく、しゅんどります。

前畑:ここは長いんですか?
お母さん:詳しくはわからないけど、100年以上は、やってるよ。
角野:げげ!すごい。たしかに一本筋入っただけで、古いお宅がたくさんありますもんね、この辺。
お母さん:この近くの酒屋さんはみんな、そのくらいの歴史があるよ。それで、みんな助け合ってるねん。「運南分会」って。
前畑:うんなんぶんかい?
お母さん:そう。「運南」は、たぶん運河の南のことやと思うけど、この辺りのお店は昔から、同じ商売でも、お互いに情報交換をしたりして助け合っててん。旅行も一緒に行ったりしてな。こういうのがやっぱり下町の良さやと思う。

 

ひとしきりお話をしながらお酒をのんだ。お母さんは奥にいる大女将である、おばあちゃんのお手伝いで垂水から通っている。和田岬線の最終で帰られるということだったので、僕たちも解散することに。それにしても「和田岬線、最終」とは。最後まで「この町らしい」。

 

長距離トラックのはしる横を通り抜け、ターレーやネコ車を修理する町工場をすりぬけ、僕たちは家路に向かう。古くからの痕跡が未だに残り続ける運河周辺の町。とにかくこのまちは、現在もなお「この町らしさ」を刻み続けているのだった。

 

 

 

※掲載内容は、取材当時の情報です。情報に誤りがございましたら、恐れ入りますが info@dor.or.jp までご連絡ください。

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