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神戸の新しい魅力に出会うウェブマガジン

シタマチコウベ

Shitamachibudie

vol.53

熾リ(いこり) 代表取締役社長|前川拓史さんにまつわる4つのこと

神戸ザックを背負って、ものづくりの旅へ

2023.03.24

1971年、星加弘之さんによって創業された「神戸ザック」は、山登りのための装備品やオリジナルデザインのザック「IMOCK」を製造してきました。型紙づくり・裁断・縫製をすべて職人の手で行う国内でも数少ないガレージブランドでしたが、2020年に廃業の危機に陥ります。そこで、事業承継に名乗りを上げたのは、神戸・大阪・東京にあるセレクトショップ「ランチキ」や、神戸国際会館SOLにあるライフスタイルショップ「じばさんele」を手がける前川拓史さん。神戸ザック新長田店に伺って、事業を受け継いだ経緯や目指すものづくりについて伺ってきました。

文:柿本康治 写真:岩本順平

 

流行りものは廃りもの

神戸生まれの神戸育ちです。宮崎県の大学に行って、古着屋でアルバイトをしていました。長期の休みには神戸のセレクトショップ「ノックアウト」で働いていて、大学卒業後にそのまま入社。店にはアメリカのトレーナーやジーンズなどの古着や、スケートボード、アンティーク雑貨が10坪の小さなお店に詰まっていました。80年代後半は“ヴィンテージ”という言葉も浸透していない時代でしたが、アメリカに古着の買い付けに行っていました。1ドルで仕入れた古着が、日本では50万円で売れたり。その後のヴィンテージブームの勢いに乗って、ノックアウトも人気店に。その後、26歳のときに独立して、今でいうトアウエストのエリアでセレクトショップ「ランチキ」を立ち上げました。当時の神戸は、三宮センター街やJR高架下の商店街にファッション関連のお店が集中していて、ほかのエリアはいわば未開拓のような状況。東京の代官山にハリウッドランチマーケットが路面店を開いておもしろいエリアに育っていったように、下町のこの場所から始めよう、と思いました。阪神・淡路大震災からも復興してトアウエストが賑わっていく一方で、まちとしての面白みは薄れている気がして、栄町に新しく店舗を構えました。今は神戸に2店舗、大阪に2店舗、東京に1店舗、それとネットショップでランチキを展開しています。自分でも天邪鬼だと思いますが、何事も流行るとイヤになるというか、飽きてしまいます。ただ、この性格はファッションを生業として続けていくにあたって活きていますね。時代の流行に乗って楽しく生きているだけでは残したいものも残せないので、ファッションの業界でビジネスとしてどうやって生きていくか、よく考えるようにしています。

 

地域と生活に根ざしたファッション

2009年ごろにリーマンショックの波が来て、ECサイトやファストファッションの台頭を機に売上がガクッと下がりました。若い人はセレクトショップに頼らずとも最新のトレンドをつかめるようになり、今までどおり店舗を経営するのがきびしくなったんです。足元を見直して、兵庫県や神戸市といった地域内で完結できるものづくり、ブランドづくりをする必要を感じて、2009年にライフスタイルショップ「じばさんele」をスタートしました。姫路には革、西脇には生地など、兵庫県には地場産業や伝統工芸がしっかりあるので、その地域性やライフスタイルに根ざしたファッションを見つけて発信する場所を目指しました。食器や生活雑貨にも着目して取扱いながら、兵庫県内の産地を巡って商品開発も行っています。神戸ザックに関しては、電車のなかで背負っている人を見かけたりして、メイドイン神戸のプロダクトとして気になっていました。星加さんの工房に何度か通って、2013年に別注のウェストバッグをつくってもらったのが最初のお付き合いです。その後、70代になった星加さんご夫妻は後継者不在で廃業を考えていましたが、もったいないからと事業承継をサポートする神戸市の100年経営支援事業への申込みを勧めました。2018年に登録されて数社と面談しましたが、雑然とした工房を実際に見てもらったら見送りになってしまったり……。それで、廃業になるくらいならと、僕の会社が受け継ぐことに。型紙を引くところからすべて手づくりで行うザックなんて、世の中になかなか存在しません。承継を引き止める人もいましたが、これは失ってはいけないものだと考えて決めました。

 

続けるために変えること、変えないこと

2020年の終わりに事業承継して、星加さんご夫妻には後継者の指導をお願いしています。スタッフは現在3名で、裁断担当が1名、縫製担当が2名。縫製を担当する正社員はふたりとも、クリエイター職で採用した神戸芸術工科大学の卒業生です。1年半ほどで大体の製品づくりを教わって、大きいザックについてはこれから。星加さんたちの時代は、夫の弘之さんが感覚的に生地を裁断して、妻の和子さんが縫製で形をうまく仕上げていたからか、製品に少し個体差がありました。昔のリーバイスのデニム製品みたいで、おもしろいんですけどね。僕らの時代になって品質管理をより徹底するようになりました。ただ、働く時間や環境を改善したこともあり、当時に比べて製造数は半分ほどになっています。今の課題としては、生産体制の強化ですね。最近は兵庫県豊岡市の提携工場を見つけて、サコッシュなどの製造をお願いしています。いわゆるOEM(相手先ブランド製造)ではなく、こちらで引いた型紙と納得のいくサンプルをお渡ししています。それと近々、技術継承するスタッフをもう1名増やして自社の生産力も上げる予定です。社外に協力を仰ぎながらも、神戸ザックとしては星加さんご夫妻のザックづくりの歴史や技術を理解したうえで、ブランドとして守っていかなければいけません。機能性の部分で、弘之さんが特にこだわったのは“背負い心地”。登山者の負担を減らして命を守るために考えられたザックの形は、つくるのに手間がかかるので、提携工場を探してもなかなか引き受けてもらえません。でも、そのディテールは妥協せずに守っていきたいポイントです。引き継いだ形を保ちながらもカラー展開を考えたりして、今の時代にフィットするようなブランディングを心がけています。

 

登れば見えてくる、まちの新しい景色

2021年、長田区腕塚町に神戸ザックの店舗兼工房を新しく構えました。かつて栄えた靴などの産業が衰退しているのは事実ですが、ものづくりのまちとして復興する流れが生まれたらいいなと期待しています。昔は“自動車のまち”と呼ばれていたアメリカのデトロイトも産業が衰退し、雇用減少や治安の悪化が続いていましたが、腕時計などを製造する「シャイノーラ」というベンチャー企業が工場をつくったことで、まちが変わりました。雇用が生まれ、若い人が集まる店ができたり、道がきれいになって行き交う人も増えたそうです。ものづくりを通して長田区に若い人たちが集まってくるようになれば、もっとまちとして発展していくはず。もうひとつの夢は、神戸ザックが世界に通用するブランドになることです。「アウトドアリテイラーショー」という世界最大級のアウトドアの展示会がアメリカのソルトレイクシティで開かれていて、ノックアウトの社員だった時代に買い付けに行きがてらよく顔を出していました。今度は、日本から出展する立場で参加するのが目標ですね。当時、アスレチックブランド「グラミチ」のパンツを見つけて、日本に持ち帰って気にいってよく履いていたんです。1980年代にカリフォルニアの小さなガレージで生まれたロッククライミング用のパンツが、今や世界的に名の通ったブランドになっていることに勇気をもらいます。神戸ザックをつくる僕らも、その高みを目指して登っていきます。

熾リ(いこり)
前川拓史

20代前半、神戸のセレクトショップ「ノックアウト」に入社。店長とバイヤーを兼任し、アメリカへの買い付けと国内ブランドの仕入の経験を経て、1993年に「ランチキ」1号店を立ち上げる。現在は神戸2店舗、大阪2店舗、東京1店舗にコンセプトの異なるセレクトショップを展開。また、兵庫県下の産地をまわり、地場産業や工芸士の方々と商品開発を行いつつ、ライフスタイルショップ「じばさんele」のディレクターや、産地から情報発信をするイベントプロデューサーを兼任。2020年には、1971年創業の「神戸ザック」を事業承継し、長田区の店舗兼工房を拠点に製造・販売を行っている。

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