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神戸の新しい魅力に出会うウェブマガジン

シタマチコウベ

下町日記

村田圭吾

五月二十四日(水)

2023.06.09

時間の価値。

どこかの有名な人が言った。
時間でも、お金でも、人はあらゆる資源を、あればあるだけ使ってしまう。

どこかの有名な人が描いた曲線。
人間は学習の20分後には42%を忘れる。
1時間後には56%を忘れる。
1日後には74%忘れる。

この2つの事が、ムラタのスマホのメモ帳に貼り付けられている。

生まれながらにして持っている物と、持っていない物がある。
こんな事に気付いてしまったのは小学生高学年の時だったと思う。

それは家庭環境であったり、裕福かどうか、子どもからしたら選ぶなんて出来ないような事に『差』は存在しているという事。

中学校に入って初めてのテストがあった。
そのテストで初めて学力の順位というものが付けられた。

220人くらいいたと思うが、順位は190番くらいだったように記憶している。
人生で初めて「自分は馬鹿なんだ」というのを知った。

この順位のおかげで、先生の喋る口調、内容、優等生と劣等生の境目、
色々なものを感じる事ができた。

多分この時ぐらいからムラタの努力は始まったのだと思う。

取り敢えず、中学生なりに好きなものを買いたいと言う欲求を満たすことを考えた結果。
新聞配達と言う中学生でも出来る仕事内容を見つけた。

学校に申請すると、
先生「村田はなんで新聞配達したいんだ?」
村田「将来車を買いたいので、貯金したいです」
先生「そんなの大人になってからでも十分間に合うよ」
村田「家庭環境があるから、出来るだけ親に迷惑かけたくないんです」

先生「今は勉強の方が大事だぞ」
村田「はい」

この時点で12歳のムラタが40歳を超えている先生に労働の許可を取りに行っている。
膝がガクガクしていた事を覚えている。

多分先生方からしたら、厄介な種だったのだと思う。
もしムラタ1人を許可した場合、全校生徒を許可しなければいけなくなる。
もしムラタが金銭的なトラブルを起こした場合、学校側の責任問題になってくる。

今考えれば分かる事なのだが、ムラタは『トラブルの種』だったのだ。
それでも引き下がることなく。なんとか勝ち取った、新聞配達をする許可。

先生の言葉からは、
ムラタの190番台の成績も含めた『厄介なやつ』と言う態度と表情と、言動が見てとれた。
(被害妄想がかなり入ってます。)

これは当たり前で、先生方を避難しているわけではない。
頭の悪い子と良い子は平等な扱いを受ける事ができない。

これが分かっただけでこの時のムラタにとっては十分すぎる収穫だったのだ。

365日のうち休刊日を除いて360日位4時半に起きる。
当時8時間の睡眠が必要だったムラタは、20時半ごろには寝ていたと思う。
5時開始で50部〜100部を1時間ほどで配り終える。

同級生の家の配達もあった。
カウントダウンTVを見て、深夜ラジオを聴いている同級生が多い中、
勿論早朝5時に電気なんかついている訳もなく、みんな寝ている。

こんな現実を少しずつ見始めて、新聞配達にも慣れた初夏(だった様に思う)
いつもと違うルートを通って配達をしてみた。

一軒電気が付いている家があったのだ。同級生の家だ。

育ちの良さそうな子で、学級委員長もしていたと思う。
学力は上位20位にいつも張り出されていたと思う。
その子の部屋は一階の道路に面していて、学習机は窓側に置かれている。
広い庭があり新聞配達をしているこちらには気づく事がない位の距離がある。
でもムラタからははっきりと見えた。
『彼女は、5時には起きて机に向かって勉強している』

時間とお金は、周りの同級生を含めて、全て平等過ぎるくらいに平等に与えられている事を知った。
同時になぜ彼女は頭が良いのかと言うのも分かってきた。

6時15分には配達を終えて家に帰って、彼女の真似をして勉強と言うものを毎日
してみた。

記憶の定着がどんどんと良くなっていくことを実感した。
昨日学校で書いたノートを広げる。
先生がどんな事を話していたのか、どんな事を黒板に書いたのか。
隅々までペンでなぞり読みをする。

その日中、同じ授業内容があると分かるのだ。
今まで呪文にしか聞こえなかった授業内容が分かるのだ。
先生から指を指されても、答える事ができるのだ。

覚える能力というのは小さな積み重ねだと言う事を知った。

冒頭に書いた、
時間でも、お金でも、人はあらゆる資源を、あればあるだけ使ってしまう。
人間は学習の20分後には42%を忘れる。
1時間後には56%を忘れる。
1日後には74%忘れる。

これらの事を本で学んだのはそんなに過去の話ではない。

パーキンソンの法則
エビングハウスの忘却曲線

どちらも経営というものを勉強し始めてから読んだ本だ。

ムラタは今、12歳のムラタを思い返している。
時間の価値を上げよと自分自身に言いたい。

この同級生は東京の大学に行って、薬剤師になったと風の噂で聞いた。
ムラタは神戸の南端で細々とパン屋を営んでいる。

またいつか彼女に会えるなら伝えたい事がある。
「君のおかげで、努力の仕方を学べた。ありがとう」と。

登場人物

村田圭吾|メゾンムラタ

福井県生まれ、15歳で高校を中退してパン職人になる。17歳で単身神戸の『ビゴの店』に修行先を移し、22歳で奥さんと一緒にフランスに修行へ。27歳で第一子を授かり日本に帰国し、パン教室から初めて、2015年「メゾンムラタ」を開業。
神戸のパン屋文化のした支えができるように和田岬でパンを焼いてます。

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