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神戸の新しい魅力に出会うウェブマガジン

シタマチコウベ

Shitamachibudie

神戸市長田区にある旭屋ガラス

vol.55

旭屋ガラス店|古舘嘉一さんにまつわる4つのこと

古き良き時代を残す、町のガラス屋

2023.07.27

下町を歩くと、レトロな柄が入ったガラス窓を見かけることがあります。銀河、古都、さらさ、つづれ。これらは昭和40年前後に多く作られた「型板ガラス」の模様の名前です。片面に型模様を施したガラスは飾り障子のようなデザイン性が好まれ、室内のプライバシーを保つ目的で建具等に使用されてきましたが、時代も変わって国内では量産されなくなりました。今回は、そんな昭和の型板ガラスをアップサイクル(創造的再利用)したお皿が話題を呼んでいる「旭屋ガラス店」を訪ねました。長田区二葉町の路地裏にある工場で、3代目店主の古館嘉一(こやかた よしかず)さんにお話を伺います。

文:柿本康治 写真:岩本順平

 

サラリーマン生活を終えて、ガラス業界へ

神戸市長田区にある旭屋ガラス店

型板ガラスを使用したランプシェード

1927年、新長田の本町筋商店街で祖父母がガラス屋を開業しました。父がガラス屋を継いで、今のところに移ってきたのは僕が生まれたころです。高校生のときにたまに手伝ったくらいで、その頃は家業やガラスにあまり興味がなく、工業高校を出てすぐに三菱電機の子会社に就職しました。工業絶縁材料を扱う企業で、技術開発の仕事に就きました。そこで15年間働きましたが、定年までサラリーマンとして働くことを考えると、自分の商売で生きてみたいという甘い考えが頭をよぎりまして(笑)。それで2002年に退職して、ガラス屋を継ぐことを決めました。実家は借金もあるし、景気も悪くて大変な状況。阪神・淡路大震災の復興景気の振り戻しで仕事もどんどんなくなっていく。さらに、ハウスメーカーの拡大で、ガラスサッシ関係はメーカーが直接納入する流通形態が主流になって、元々その間に立っていた町のガラス屋が次々と店をたたむ時代でした。これは別の方向性を考えなければ生き残れない、ということでステンドグラスやガラス工芸を学ぶことに。デザインや美術が好きだったので、自分の肌に合っていました。板宿と大阪で制作技術を習得して、ランプなどオリジナルの作品を作るようになったのが2004年あたりから。その頃若い設計士との出会いもあり、リノベーションや店舗づくりにステンドグラスの技術を取り入れてガラス屋を続け、足りない部分はいろいろなアルバイトをしてどうにかやりくりしていました。

 

親子3代で集めた、昭和型板ガラス

神戸市長田区にある旭屋ガラス店

型板ガラスを使用した小皿「銀河」

家業を継ぐことになり、あらためて作業場に入ったときに見つけたのが昭和型板ガラスの端材です。おそらく祖父の代からのガラスも棚に保管されていたと思います。震災を受けて割れたガラスも拾って父が残していました。初めて見る柄も多く、こんなに柄の種類があるのかと驚きました。これはおもしろいと思って、捨てずに置いておくように父に頼みました。かつては数多く作られた日本の型板ガラスも今ではほとんど作られておらず、もう需要がないと捨ててしまうガラス屋も多くて。僕が培ってきたガラス工芸の技術と、再発見した日本の型板ガラスの魅力を組み合わせてみようと思いつき、お皿を製作するようになりました。型板ガラスに熱を加えたら柄が消えてしまうものと思い込んでいたのか、当時はだれも体系的には作っていなくて、試作を繰り返すと、温度を調整すれば柄をきれいに残せると分かりました。それからしばらくは、型板ガラスを譲ってくれた人に一部をお皿にして贈ったり、オンラインショップで細々と販売したりの日々でした。そして、2020年に「銀河」という柄のお皿を購入した人がTwitterで紹介してものすごい反響があって、2000枚を超える注文が入りました。腱鞘炎にもなりながらも4ヵ月かけて納品し終えたら、また次の波が来て。文字通り、うれしい悲鳴でした。世知辛い時代でも、自分が感じた魅力に共感して伝えてくれる人がいて、ありがたいことです。

 

日用品を、下町らしい価格で

神戸市長田区にある旭屋ガラス店

3代目店主の古舘さん

お皿を作るときは型板ガラスを切り取って、磨いて汚れを落としてから電気窯で熱を加えます。そうすると、置いた型に沿って板ガラスが形を変えていきます。小口にツヤが出るように温度を管理して、約12時間かけて焼成。窯によって熱の伝わり方も異なるので、個性を見極めながら焼成プログラムを組んでいます。手元には窯が2台あって、大きめのものが今度入る予定。板ガラスは厚さ2mmか4mmのものをよく使いますが、大きい窯が入ると生産量も増えて大皿も入るし、厚さ4mmや6mmのお皿も安定して作れるようになります。厚みが2mm違うだけで、印象もだいぶ変わりますよ。昔から2mmでこれだけの種類の型板ガラスを製造していたのは日本だけで、海外は大体4mmからです。薄いとガラスの繊細さが際立つし、意外と強度もあるんです。柄も一時は70種類ほどあったそうですが、国内製造の型板ガラスとして現在残っているのは「カスミ」という柄だけ。柄の名前もおもしろくて、着物の柄をイメージした「かすり」とか、植物を模した「スイートピー」や「笹」とか、昭和チックでいいですよね。売り値については、安いとよく言われます。もちろん手間暇かけてはいますが、“下町価格”というやつでしょうか。商売も人と人との関わりなので、そういう気持ちは大事にしていきたいです。

 

町のガラス屋のままで

神戸市長田区にある旭屋ガラス店

型板ガラスを使用した皿

今年3月、「開工神戸」というオープンファクトリーのイベントに参加しました。長田区周辺でものづくりをしている企業が工場や工房を開放するイベントで、旭屋ガラス店はB級品の販売を主に行いました。これまで神戸市や長田区の行政の方との交流はありませんでしたが、若い職員の方々とも関わることができてうれしかったです。僕のところには東大阪の工場の人とか、地元で町おこしをしたい人とか、SNSを見て買いに来てくれる人もいましたね。それと、横のつながりもできました。長田区の田中ミシン機工や須磨区の神戸熔工など、参加企業に3代目が多かったことがきっかけで誘ってもらって、「3代目会」という集まりが生まれました。年齢も様々ですが、今後目標を掲げて協働して盛り上げていこうと話し合っています。もうひとつ、地域のことでいうと、芸術・文化活動としての評価を受けて長田区の「神戸長田文化特別賞」を今年いただきました。地域内でも知ってもらえる機会が増えてなによりです。昔から下町に住む人からは「古いガラスの何がええんや」とつっこまれますが、古き良き昭和にあったものを今の日常に取り入れて楽しんでもらえたらと。新しいものづくりに取り組みながらも、ガラスの修理・交換といった町の皆さんからの相談を受けていて、すぐそこの真陽小学校にも時々行きます。今後も変わらず、ボールが当たってガラスが割れたら駆けつける、下町のガラス屋でありたいです。

 

 

神戸市長田区にある旭屋ガラス店
旭屋ガラス店
古舘嘉一(こやかた よしかず)

1968年、神戸市長田区生まれ。一般企業にて工業絶縁材料等の技術開発に従事した後、ガラス店の3代目として家業を継ぐと同時に、ステンドグラスの制作技術習得を始める。店舗や雑貨店、個人などの依頼を受け、オリジナルデザインのランプやパネルをステンドグラスや型ガラスで製作。2004年より、祖父の代から集めていた昭和の型板ガラスを使った皿作りをスタート。2015年、「神戸市優秀技能者表彰」を受賞。2023年、長田区「神戸長田文化特別賞」受賞。 https://asahiyagarasuten.com/

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