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-神戸駅の南側のエリア-vol.2

来年も、浮きドックで
バーベキューしたいな。

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    文:株式会社KUUMA 濱部玲美

    こんにちは、ハマベレミです。最近、我が家は寝室のクーラーが壊れてしまい「そんなものなくたって、寝れるでしょ」と粋がっていたけど、隣で暑さに悶え苦しみながら寝る息子を見ていると、いてもたってもいられなくなってしまった。行動を変えるのは、自分の心持ちより大切な誰かなのだと思う。

    前回書いた、むっちゃんと秀子さんの見てきたこの七宮町界隈の記事を読んで、何人かの古い友人が良かったよ、と連絡をくれた。長い文章を最後まで読んでくれたことも有難いけど、わざわざ一報くれたことがなお有難い。今は見えないけどここに在った人や場所の記憶に触れさせてもらって、書きながら凝り固まっていた視点がほぐれてくるような気持ちになった。ほぐれると、動き出す。頭だけで考えないで、身体がついてきちゃうことが大切なんだと思う。今回も、私も含めた誰かの何かがほぐれるといいな、と思いながら書いてみる。

    ——————————————————

    仕事場である『汀(みぎわ)』から、歩いて177歩先の海辺に鹿瀬造船がある。息子が小さい頃に、「Aくんの頭1個分の大きさやねん」「Aくんの頭3個分を飛べた」とか、世界をみる時の物差しを常に友達のAくんの頭を1単位としていたことがあった。誰かの何かの尺度に流されない自分の物差しを持つ姿に尊敬の念を抱いたことを急に思い出して、鹿瀬造船までの歩数を数えてみたら、177歩だった。長いのか短いのか分かりづらいと思うが、世間の尺度でいくとgooglemapで徒歩2分ほどの距離だ。

    海を背景に掲げられた鹿瀬造船の看板、いつ見てもいい。

    そんなご近所にある鹿瀬造船の三代目社長である鹿瀬文規さんは、私たちが七宮町に仕事場を引っ越してきてから毎年、浮きドックでバーベキューを開いてくれている。インドネシアからやってきた鹿瀬造船の従業員さんたちや鹿瀬さんの家族や親しい人、それから私たちの仕事仲間や家族や友人などが集まった。汀の大家のむっちゃんもスイカをもってやってきた。年齢も国籍も混じり合った総勢30人くらいが、真夏の陽射しでギンギンに熱せられた浮きドックに集まって肉を焼く。

    さらっと浮きドックでバーベキューと書いたけど、あまり馴染みのある言葉ではないと思うので少し補足したい。浮きドックとは、ざっくり言うと、船舶の修理や建造をするために沈下や浮上ができる海に浮かぶ大きな構造物のこと。中に海水を注水してドックを沈め、船を内部に引き入れた後に水を排水してまた浮上させることで、船体を水上から持ち上げて乾いた状態で修理や手入れをすることができる。

    ドックを沈める日は、潮の干満の差(大潮か小潮か)を計算してスケジュールを立てる。月と太陽の引力によって生まれる潮の満ち引き。人間の都合だけではどうにもならないものが働くことのそばにあることを改めていいなと思う。

    神戸に現在まで残る浮きドックは、新神戸ドックと川崎重工業、それから鹿瀬造船の3つだけ。鹿瀬造船は、小型船舶の修理や整備などを専門としているので、界隈の浮きドックのなかでは小さめだそうだが、それでも長さ40メートル、幅11メートル、そして重さは350トンもある。初めて鹿瀬さんの浮きドックの上に立たせてもらった時、高揚した。息子も初めての時は、得体の知れないものに乗る怖さと未体験領域に踏み込む興奮が混ざり合った顔をしていたことを思い出す。いい顔だったな。あんな顔を子どもたちにさせてしまう仕事をしている鹿瀬さんが羨ましい。

    鹿瀬さんの案内のもと、去年初めてドックに乗せてもらった子どもたち。

    ——————————————-

    鹿瀬造船は、今から81年前の1945年に、船大工だった鹿瀬文規さんのお祖父さんが創った。第二次世界大戦が終わってすぐのこと。言わずもがな、戦争が神戸もボロボロにした時だ。

    “都市に対する無差別焼夷弾爆撃が、3月10日の東京大空襲を皮切りに本格化し、名古屋、大阪に引き続き神戸は、3月17日未明の大空襲により、兵庫区、林田区、葺合区を中心とする神戸市の西半分が壊滅した。また、5月11日の空襲では、東灘区にあった航空機工場が目標とされ、爆弾による精密爆撃が行われた。この空襲では、灘区・東灘区が被害を受けた。さらに、6月5日の空襲では、西は垂水区から東は西宮までの広範囲に爆撃され、それまでの空襲で残っていた神戸市の東半分が焦土と化した。こうして、3月17日、5月11日、6月5日の3回の大空襲によってほぼ神戸市域は壊滅した。空襲による現在の神戸市域の被害は、戦災家屋数14万1,983戸、総戦災者数は、罹災者53万858人、死者7,491人、負傷者1万7,002人という大きな惨禍であった。(神戸市ホームページ「神戸 災害と戦災 資料館」より。なお、文中の区名はいずれも当時)” 1)

    1) 総務省HP 神戸市における戦災の状況(兵庫県)より引用

    お祖父さんが見ただろう、爆撃で焼け野原となった七宮町界隈。遮る建物がなくなって、普段は見えない三宮の方まで見渡せる瓦礫だけの景色だったとどこかで読んだ。

    大型軍艦や巨大な輸送船を停泊することのできるメリケン波止場や新港突堤などは、アメリカ進駐軍が占拠したけど、水深が浅く小さな船しか停めることのできないこのあたりの海辺は、言わば見捨てられた場所だったのだとか。だからこそ、お祖父さんをはじめ、日本人が立ち上がることができた。使いづらい海との境目で知恵を絞りあって、造船業など産業を立ち上げ、たちまち船大工が木を削る音、カンカンと鉄を叩く金属音、そして働く工員たちの声が、朝から晩まで響き渡るようになった。

    そんな最中に浮きドックを造った鹿施造船。浮きドックは、誰でも造れるものではない。海は個人の所有地にできないから、国や自治体からの法的な水面占用許可をもらわないといけないし、重たい船を載せても沈まないようにバランスを保つ浮力計算やそれを叶える技術力がいるし、そして何より莫大な資金が必要。たくさんのハードルを乗り越えて、たくさんの人が汗をかいて実現した景色が、いま私たちの前に広がっているんだと思うと、細部まで目を凝らして眺め尽くしたくなる。

    ——————————————————

    戦後から約60年経った2004年。27歳の時に鹿瀬文規さんが三代目の社長になった。ここ七宮町界隈で生まれ育った鹿瀬さん。通っていた入江小学校は、二宮金次郎の像だけを残し、当時はみんなの憧れの住まいとして爆発的な人気を誇った(共同トイレや共同風呂の長屋が当たり前の時代だったから)、大規模団地の入江住宅に変わっている。

    第一と第二あわせて200戸近くが住む入江住宅の前にぽつんと二宮金次郎さん。

    鹿瀬さんが見せてくれた、閉校時に在校生に渡された入江小学校の記念品。

    小さい頃に、浮きドックのある仕事場周辺を自転車で走るお父さんの姿をよく見かけていたと話す鹿瀬さん。ずいぶん前の神戸新聞にお父さんが取材された時、当時小学校4年生だった鹿瀬さんに向けて「将来、跡を継いでくれたらいいな」と話していたそうだ。

    そして私の目の前にいる鹿瀬さんの息子さんも、小学生の頃に「大きくなったら船を造るで」と話したことがあったとか。子どもは教えたことはやらない、やったことしかやらない、と誰かが言っていた。私も自分の子どもに自分の出来ないことややりたくないことをやってもらうのってなんか違和感あるなと思う。

    生き物と同じように寿命をもつ浮きドックは、お祖父さんが造ったものから現在で三代目。何億という資金が必要な浮きドックを造り変えるのは、これからの覚悟を問われる大きな決断だろう。そんななか、「修理の煙を消したらあかん」というお祖父さんの言葉を、お父さん、そして鹿瀬さんが受け継いで、消防船や警察船など官公庁管轄の小型船を中心に修理を続けている。そんな鹿瀬家の男たちの背中を、ちゃんと子どもたちは見ているのだ。

    話が終わるとそそくさと浮きドックに帰っていく鹿瀬さんの背中を見送る。

    森田真生さん著『数学の贈り物』のなかにあった、「子どもと大人は、同じ探求者として未知に飛び込み、戸惑いながら圧倒的に不思議な世界に探りをいれていく」という言葉がとても好きだ。焼け野原のなかでどっちに進むべきかを教えてくれる絶対に正しい旗が掲げられていなかった時代から、生き延びるために未知なる挑戦を重ねてきた鹿瀬家の背中は、人生を探求する子どもたちの目に生きていくかっこよさを見せてくれたんだろうと思う。

    船大工から立ち上がり、80年経った今に血も繋がっていない私も高揚しちゃうような景色を見せてくれたお祖父さんは、浮きドックの浮かぶ海に眠っていると、遺言を受け取ったお父さんと一緒に船に乗って散骨した鹿瀬さんが教えてくれた。見えていなかったものに触れると、関係ないと思っていたことも、ぜんぶ関係あることなんだと思えてくる。

    ——————————————————

    そうして私たちが迎えた、浮きドックでのバーベキュー。約束の時間に着くと、すでに肉を焼いているいいにおいがする。子どもたちは、あれよあれよと服を脱がされ鹿瀬さんが用意してくれている大きなプールに連れていかれる。少しくらい乱暴にされたって、子どもたちは大喜びだ。

    子どもたちにいつも優しい鹿瀬さん。

    普段は船の修理に使われる大きなホースは、子どもたちのやわらかい肌をくすぐる遊び道具になった。それから、鹿瀬さんが浮きドックを少し沈めてくれた(普段は船をあげるために7メートルくらい沈めるそうだけど数メートルだけ下げてくれた)。海との境界線がどんどんこちらに近づいてくる。

    ドックが下がり上がってくる波の向こうで肉を焼き続ける私たち。

    気がつけばみんな海に引き寄せられる。海水浴場でも工場でもない、今日は混ざり合った場所。

    遮断されていた波があがってきて足にあたり、当たり前に海の上にいることに気づかせてくれる。この浮きドックが何億もするとかどんな覚悟があったかとか頭で理解する前に、この足にあたる波の気持ちよさにうっとりしてしまう。私はこの感触を贈ってくれた浮きドックの時間を忘れない。この界隈のことを知るということは、自分がどう在るかを問われていることだと、勝手にしゃきんと背筋を伸ばした。

    また来年も、浮きドックでバーベキューすることを楽しみにここで生きていきたいと思う。

    日焼けがよく似合う、鹿瀬さん。

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    開工神戸、あります。

    工場見学やワークショップで地域産業を体感しながら、神戸のものづくり企業の魅力に触れるオープンファクトリーイベント、開工神戸。いままで鹿瀬造船は参加してなかったけれど、もしかしたらもしかしたら参加するかも!ということを小耳にはさんでます。

    開工神戸
    WEBサイト:https://kaikohkobe.com/

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    濱部玲美(ハマベレミ)|編集者・株式会社KUUMA(クウマ) 代表

    神戸に生まれ、東京、大阪に暮らし、また神戸に戻る。犬や猫、魚、亀、ハムスター、虫などが家にたくさんいる環境で育ててもらい、ムツゴロウさんをリスペクトする幼少期を過ごす。新卒で就職した会社(リクルート)では部活動のような熱気とともに朝から晩まで広告を作り続けて5年で退社。とにかく好きなことをしてみようと飲み歩いていたら、今に至る。言語が異なるものと学び続ける。遠く思える文脈を混ぜ続ける。アクシデントを面白がり続ける。を、大事にしながら、あらゆる媒体をつくる編集者として活動中。料理人の夫と夫によく似た息子、私によく似た犬、もうすぐエジプトに行くらしい母と一緒に暮らす。
    Instagram:@remmy.37

    掲載日 : 2026.08.21

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