25:30に帰宅した僕は、風呂に入って、内緒の夜食、スーパーパワーフード「カップヌードル・トムヤムクン味」を片手に、雑誌の表紙風ポスターの制作に臨む。
締切は明日(というか数時間後)1月21日土曜日の9:00。
食べすぎるとハングリー精神が無くなってしまうが、腹が減っては戦はできぬ。
ズルズルむしゃむしゃと平らげて、風呂あがりで落ち武者のような髪を手拭いでまとめ、パソコンと対峙した。
25歳の僕は、役者の道を断念し、東京は神楽坂の編集プロダクションで働いていた。
右も左も分からない業界で、制作部長のKさんが、僕に制作のいろはを。
昨夜、呑みに行くはずだった編集長のNさんは編集のいろはを、叩き込んでくれた。
約10年の年月を経た現在。
Nさんは代表取締役に、Kさんは去年の年末他界し、僕は介護士として、そのノウハウを活かして故人のポスターを作ろうとしている。
深夜2時から制作に取り掛かり3枚のポスターが完成した。
時計の針は3:30だし毛布が恋しくて布団に潜るが「僕もアホだなあ」と呟きながら、枕元でノートパソコンを起動させて、さらに2枚ポスターを仕上げて4:30眠りについた。
新長田の商店街を抜け、角にあるタバコ屋さんでは、写真を手に談笑する近所のおばちゃんの姿が見えた。
いつも通り、軽く挨拶を交わして、この日記に使う写真を撮らせてもらった。
こんな平穏な日常の風景を大切にしたい。
寝不足で、どんなに瞼がボッチャリと膨れていようとも。
僕の頭はいつもよりスッキリと冴えていた。自分の制作物に、あまり満足するタイプではないのだが、今回の雑誌風ポスターは、制作時間を鑑みても、なかなか良い出来だという自負があった。
「私はこれが好き」
「高橋さんはこれが良いと言っていたよ」
既に出勤しているスタッフさんたちから、口々にポスターの感想をもらい、あの時「僕もアホだなあ」と呟きながらも制作したことを、よくやった自分を褒めてやろうと思った。
昨夜、途中で抜けてしまったTシャツ作りも遅い時間まで残って仕上げてくれたようで、みんなニコニコと出来たてのそれを着て働いていた。
葬儀会場である教会に着いたのは14:00。
こちらも昨夜遅くまで尽力したウチのスタッフさんたちのおかげでハッピーな装いになっていて、今朝できたばかりのポスターが額装され、棺にはTシャツのデザインが貼られていた。
背中にデザインされたTシャツを着たウチのメンバーがオルガンを演奏し、その音楽にのせて献花をする。
ご家族さんは黒のジャケットの下に僕のデザインしたパーカーを着て讃美歌を歌い、涙を流して故人のお見送りをしている。
語弊があるかもしれないが、一笑の絶えないとてもハッピーなお見送りができた。
「打ち上げも兼ねてタコパしよう」
先日届いたBRUNOのホットプレートを使ってみたくて我慢できないKさんから声がかかり、二つ返事で行きますと応えた。
昨夜、遅くまでTシャツプリントに奮闘してくれたSちゃんも誘ったが「タフっすね」「今日は仕事終わりでドロンします」と断られた。
どうやら僕はアホでタフらしい。
仕事終わりにKさん家族とタコパをした。
タコ焼きを食べる夜を一緒に過ごすだけなのだが、おウチでタコ焼きを作って食べる時は、なぜか「タコパ」と呼ばれる。
なんでだろう。
なんて事を考えながら、怒涛の2日間を振り返り、ビール片手に故人との思い出話に花を咲かせる。
美味しいタコ焼きだった。
新しいBRUNOのおかげか、お好み焼き屋でアルバイトをしていたKさんの焼きテクニックのおかげか、寝不足で味覚がおかしくなっているのかは、定かではないが。
「なに食うかより誰と食うかだ」
ケミカルクッカーズのMCねこぜが歌っている通り(もちろんタコ焼きは、絶対的に美味しかったのだけど)、こんな時に、こんな時だからこそ、ごはんを楽しく食べられるメンバーに恵まれて、僕はつくづく幸せ者だと感じた1日だった。
「また会いましょう」
故人に最大級の哀悼の念を込めて、このタイミングで日記として遺せた事を光栄に思う。
マカロニえんぴつの「なんでもないよ、」を聴きながら帰宅した僕が、泥のように眠ったのは言うまでもなく、この日記に遺すほどの事ではない。
A2C|はっぴーの家 介護士
1981年兵庫県姫路市生まれ。
東京、広島、大阪での様々な活動を経て、現在は神戸の新長田を中心にアテのない人生を歩き、アテをつまみ千鳥足で帰る生活を送っている。
飼っているピロリ菌の成長を楽しみにしながら、はっぴーの家ろっけんで介護士として働く。座右の銘は「一笑懸命」。
掲載日 : 2023.02.08