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神戸の新しい魅力に出会うウェブマガジン

シタマチコウベ

Shitamachibudie

vol.50

パティスリー・オ・プレジール・シュクレ オーナーシェフ|大江 徹さんにまつわる4つのこと

パリの風吹く、苅藻のまちかど

2022.10.17

地下鉄海岸線の苅藻駅から、北へ徒歩8分。民家と工場が立ち並ぶ下町の通りを進んで見えてきたのは、風にはためくトリコロールの国旗。スカイブルーの色鮮やかな外観に魅了されながら店内に入ると、今度はショーケースを彩る宝石のようなフランス菓子に目を奪われてしまいました。ここは、2015年にオープンした「Pâtisserie Aux plaisirs sucrés(パティスリー・オ・プレジール・シュクレ)」。オーナーシェフパティシエの大江徹さんと、パティシエールの恵梨子さんがご夫婦で営む洋菓子店です。苅藻やフランス菓子との接点について、徹さんにお話を伺いました。

文:柿本康治 写真:岩本順平

 

パリの風景に魅せられて

幼いころから、甘いものが好きでした。芦屋にあるアンリ・シャルパンティエ(アンリ)の洋菓子を祖母がよく手土産などでもらっていて、僕が特に好きだったのはフィナンシェ。自分にとって、原点といえるお菓子かもしれません。成人式の次の日に起きた阪神・淡路大震災で家がつぶれ、手に職をつけたいと考えたときに菓子づくりを学びたいと思いました。知識も経験もありませんでしたが、ご縁あってアンリの製造部門で働けることに。そこで数年間菓子製造の基礎を学びました。フランス菓子の講習会に参加したり、テレビ番組でパリの街並みを見たりするうちに現地へ行きたくなり、34歳のときにフランスへ洋菓子店巡りの旅に。日本の子どもが駄菓子屋に行くような感覚で子どもたちが洋菓子店に入っていく風景を観て、パリの洋菓子店で働きたいと思いました。一時帰国した後、学生ビザを取得。語学学校に通いながら4店舗の洋菓子店で研修するプランに申し込んで、再度渡仏。1店舗目のカール・マルレッティのオーナーシェフに気に入られ、滞在期間を延長。現地の友人のためにつくったチーズケーキが店のスタッフにも好評で、週末限定で店頭に出させてもらえたりと、日本で培った技術も活かされました。フランス人のパティシエの感覚にふれながら、味の応用やイメージの引き出しを増やすことができた4年間でした。

 

苅藻だからこそ、今のケーキがある

店があるこの場所には僕の実家が元々あって、祖父母が薬局を営んでいたんです。震災で建物が倒壊してからは、プレハブみたいな建物で母が化粧品を販売していました。フランスから帰国したタイミングで「お店をするなら、この場所を使っていいよ」と祖母と母から言われました。若い人が多い三宮のほうがいいのではないかと、当時は悩みましたね。金銭面も考えて苅藻で一度やってみようと思い立ち、2015年に店をオープンしました。すべての業務をひとりでこなしていたので、やりたいことはいっぱいあるけど、とにかく手が回らない。つくれるケーキの数も限られていて開店当初は大変でしたが、2018年に妻が店に入って業務を分担できるようになり、状況が変わりました。妻はホテルでパティシエの仕事を長年していたこともあって、女性目線でデコレーションの仕上げがきれいにできます。おかげで見栄えがよくなって、パッケージにも力を入れられるようになりました。昔を知るお客さんからは「ショーケースが華やかになったね!」と言われます。初めて来るお客さんには見た目で食べたいと思ってもらいたいので、仕上げにも手間をかけています。もし三宮に店を出していたら、きっと売り上げを優先してやりたいことも中途半端のままで、価格も上がっていたと思います。苅藻のまちに店があるからこそ、自分たちがつくりたいケーキを形にできているなと感じます。

 

日本の食材で彩るフランス菓子

基本的には僕たちがつくりたいフランス菓子をつくっているのですが、日本人の舌に合わないと思うお菓子は食材や味のアレンジが必要になります。たとえば、ミルクのクリームとコーヒーのカスタードをいっしょに口に入れたら、日本人にも馴染みのあるカフェオレの味になる。食べ慣れないフランス菓子も、そうした親しみのある味わいを取り入れると楽しんでもらえます。フランスの洋菓子店では「ルセット・トラディション」といって、数百年前のレシピを現代風のレシピにアレンジすることが流行っていて、僕たちも伝統的なフランス菓子のレシピをそのまま形にするのではなく、日本の旬の食材を活かしたりとアレンジしながらお客さんに届けています。夏には福島県の農家さんからルバーブを仕入れていますし、西区の農家さんから紫イモを使わないかと提案されて使ったこともあります。さまざまなきっかけで手に入る食材をどうお菓子に落とし込むか。僕は洋菓子をつくるのが好きだから、味の構成を考えるのも楽しい時間です。日本の気候に合わせて、夏だから軽めの味わいにしようとか、冬だから重めでいいとか、同じケーキでも夫婦で相談しながら味や食感を日々、微調整しています。日本の生産者とのつながりをより広げていって、今までふれてきたフランス菓子のレシピと結びつけて、この店ならではの洋菓子をつくっていきたいです。

 

誰かのための、甘い喜び

開店したとき、マカロンは2種類だけでしたが、今は10種類になりました。ショーケースにズラッと並んでいると選びがいがあるので、種類をそろえることは店のこだわりとして続けていくつもりです。中のクリームは種類ごとにすべて変えていて、これはフランスのマカロン専門店で学んだこと。そのお店は残念ながら閉店してしまって、自分が食べて感動した味を引き継ぐような気持ちもあって、大切にしているお菓子のひとつです。ちょうど小さな子どもの目線にカラフルなマカロンがあるから目に留まるようで、「マカロンがいい!」と親御さんにおねだりする場面を見かけることも。うちを“マカロン屋さん”と呼んでよく買いに来てくれる近所の子もいて、あの日憧れたパリの風景に少しでも近づけていたらうれしいですね。苅藻の民家と工場が並ぶ通りにあって、なんでこんなところにあるのかとよく思われますが、工場の従業員の方が会社帰りに家族のためにケーキを買って帰る姿はいいものです。ありがたいことに、誕生日のお祝いや手土産で誰かにあげたいと買って行く人が多いようで、僕たちも笑顔になります。ケーキは悲しいときではなくて、笑顔があるときに渡すもの。フランス語の店名「Pâtisserie Aux plaisirs sucrés(パティスリー・オ・プレジール・シュクレ)」には「甘い喜び」という意味があります。これからも好きなことを続けながら、誰かの喜びにつながる菓子づくりができたらと願っています。

Pâtisserie Aux plaisirs sucrés(パティスリー・オ・プレジール・シュクレ)
大江 徹

アンリ・シャルパンティエの製造部門や洋菓子店で10年以上働いた後、35歳で渡仏。パリのカール・マルレッティやピエール・エルメ、パリ郊外のマカロン専門店、レストランなどで4年間修行して帰国。2015年、祖父母が薬局を開いていた実家跡地に洋菓子店をオープン。2018年、妻でパティシエールの恵梨子さんが加わり、ケーキやマカロン、シュークリーム、エクレアなど、フランスの伝統菓子を日本に合わせてアレンジして夫婦で提供している。

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