10月7日、下町芸術大学第4回目、兵庫区の和田岬、兵庫津を巡る下町歩きツアーを開催しました。前日に開催された長田区での下町歩きツアー同様長時間にわたるフィールドワークだったため、学ぶことの多い充実したツアーとなりました。
ガイドをしてくださったのは、NPO法人J-heritageの総理事を務める産業遺産コーディネーターの前畑洋平さん。今回のテーマは「和田岬、兵庫津を歩きながら街を体験する」。
普段この辺りの案内役をすることが少ないという前畑さんは、それでもかなりの知識を披露してくださいました。その中で、町の文化や変遷、歴史、産業などについてまとめます。
レポート:荒井凛(神戸大学インターン)
線路の名残からみる町の歴史
新開地付近にはかつて鉄道路線の開通計画が浮上して頓挫した過去があり、その名残だけがあるような場所がいくつかあります。例えば集合場所の神戸駅から少し北に歩いたところに、前畑さんに言わせれば「不自然なカーブ」がついた道路あります。建物で構成されるそのカーブは、かつて神戸電鉄が新しい路線を作ろうとした名残だそうです。しかし途中で企画倒れしたために線路開通のためにおこなった区画整理だけが残り、それに沿って建物が建ったことで不自然な曲がり角が今も残っています。他にも、もともと神戸電鉄で使われていた車両が街中に残っていたり、と交通に関する情報が盛りだくさんでした。
アートの面に注目して町を見渡してみれば、地下のトンネルに絵が描かれていたり街中にカラフルな建物が建っていたり。和田岬はいろいろな文化が入り混じった雰囲気の町だということが分かります。
時代で変化する兵庫津の役割
兵庫区南部は、平清盛の時代に栄えた大輪田泊があった場所として有名です。このツアーでも平清盛にまつわるスポットをいくつか回りました。平家の平経盛の墓と言われる琵琶塚や兵庫運河に架かる橋など、見渡してみると源平合戦などの歴史を刻む街としての様子が伺えます。平家のほかにも高田屋嘉兵衛のゆかりの地として高田屋嘉兵衛本店の地を示す石碑もありました。
かつて大輪田泊が存在したことから、兵庫区南部は水運が活発な街として知られています。ツアーでは川崎重工の第3潜水艦ドックがちょうど海面に顔を出し、潜水艦のメンテナンスをしているところを見ることができました。前畑さんによると、川崎重工と三菱重工、双方の神戸造船所では海上自衛隊の潜水艦が毎年交互に一隻ずつ造られているそう。日本で初めての潜水艦や国産の潜水艦を造ったのは川崎重工だそうで、今年は三菱重工神戸造船所にて造られた潜水艦、「おうりゅう」が最近発表されたところだとか。兵庫区南部がこうした軍事的な要素が混じった場所であることは一般的には知られていません。しかし、戦時中には軍事拠点として空襲の標的になり、大きな被害にあったそうで、決して穏やかとは言えない歴史が垣間見えます。
まとめ
今回は産業や歴史に重点を置き、さらに戦争についてもクローズアップした町歩きツアーでした。文化的な面では、建築物についての説明をたくさんしていただき、まさに知識の宝庫といった具合に前畑さんからたくさんのことを学びました。最後には和田岬にある「カルチア食堂」の隣にできたイベントスペース「TONARI」をお借りして交流会が行われ、和やかな雰囲気の中それぞれがツアーを振り返りながら話が弾み、楽しい時間となりました。ツアーガイドをしてくださった前畑さん、ありがとうございました。
掲載日 : 2018.12.04