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11/22 下町芸術大学 村上しほり編「近現代神戸の都市史に見る下町エリア」

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    11月22日、六間道商店街にあるr3にて第11回、最後の下町芸術大学が開校されました。今回は村上しほりさんにお越しいただき、「近現代神戸の都市史に見る下町エリア」というテーマでお話していただきました。村上さんは、神戸の戦後における闇市からの復興や、占領下の都市空間など都市史を中心に神戸大学・スペースビジョン研究所で研究されています。神戸は阪神淡路大震災という大きな震災を経験しているため、震災前後での比較はよくされるが、戦後から震災までの変化はあまり注目されないそう。今回の講義では、戦後と震災後の都市史からみる神戸や長田の変遷を紹介していただきました。

    レポート:高木晴香(神戸大学インターン)

    戦後の神戸の歩み

    1945年、第二次世界大戦中の神戸は、128回にもわたる大空襲により、市街地の約6割が罹災。さらに神戸はGHQによる占領を経て、すっかり姿を変えてしまいました。
    1945年9月、終戦から約1か月後にGHQの関西進駐が開始され、約11000人の兵士たちが6大都市の一つである神戸のまちにやってきたのです。彼らは、最初に居住地を確保するために、大丸を接収し宿舎にしました。周辺の焼け残ったビルや税関、現在のKITTOなども接収され、現在の神戸の中心市街地である三宮はGHQによる管理エリアとなりました。

    闇市と神戸

    GHQによる占領が始まったころ、全国的なブームとして闇市が登場しました。闇市では、設定価格よりも高い値段で商品が売られていました。戦後、食料、住宅、衣服、何もかもが不足していた状態で、闇市は困窮する人々を助ける存在となったのです。しかし、1946年初頭からGHQによる闇市の取り締まりが開始され、1年あまりで闇市はすべて撤去されました。しかし、闇市は完全に消失したわけではありません。高架下や路上に姿を変えて市場として登場し始めます。そもそも、闇市では設定価格より高く商品が売られていたことが問題であったため、値段さえ正常に戻れば問題なかったのです。
    民族集団や宗教組織の協議によって、闇市は三宮の高架商店街や三宮国際マーケットなど新たな商業集積地として生まれ変わりました。彼らは、不在地主に交渉し、土地を獲得する中で、自分たちの店を拡大していきました。また、三宮ジャンジャン市場という、いわゆる飯場や飲み屋街のような港湾労働者向けの市場も登場しました。ここでは、非常に安い値段で彼らに食事が提供されたそうです。

    戦後の長田

    では、長田は戦災でどのような影響を受けたのでしょうか。
    実は、長田は戦争による被害が非常に小さかったそうです。6大都市の中で一番大きな被害を受けた神戸ですが、長田は人的被害も物的被害も少なく、さらに木造家屋が多く残っていたため、接収もあまりされませんでした。つまり、長田は戦前の暮らしが発展的に続けられた環境であるといえます。村上さんは、長田が戦後どのような変化を遂げたかをお話してくださいました。
    まず、1954年、請願駅として新長田駅が開業しました。新長田駅の誕生は、商店街に大きな影響を与え、アーケードの設置など近代化が進行していきました。新長田の人口のピークは1965年に訪れ、人口の増加に伴い町はみるみる整備されていきました。
    神戸市の土地利用計画が開始され、神戸の街は商業地域や工業地域、慰楽地域に分けられ、長田は生活圏の中心として位置づけられました。ほかにも灘の水道筋や春日野道なども生活圏の中心となっています。当時の「下町」の定義はここにあり、今の下町はこの時点で作られていると村上さんは言います。
    長田区の特徴として商店街が多いことが挙げられますが、その中でも六間道商店街は慰楽地区として位置づけられました。六間道商店街の顧客は付近の工場労働者でした。映画館や寄席などがあり、喫茶店やカフェ、バーや飲食店などの接客業のお店も多くあったそう。一方、大正筋商店街は「慰安化」という他の商店街にはない特徴がありました。慰安化とは、接客業のお店が圧倒的に多かったことを指すそうです。大正筋商店街は圧倒的に喫茶店やカフェなどの数が多かったそう。
    村上さんは丸五市場の成り立ちについても紹介されました。実は、丸五市場はもともと丸五市場という名前ではありませんでした。今の丸五市場は中央市場として誕生しましたが、中央区に中央卸売市場が誕生したことにより名前が被ってしまったことから「丸五市場」に名前を変えたそうです。

    場所の意味の多様化

    最後に、村上さんは震災後に新長田にできた路上の商業地として「パラール」を紹介してくださいました。長田区における震災の被害は甚大で、商店街も全域で被災したため、新たに仮設店舗として新長田駅南側に「復興元気村パラール」が設置されました。パラールとは、パラソルとバザールを掛け合わせたもので、路上にパラソルを立ててそこで商売をする共同仮設店舗のこと。「焼け野原の中でお客をいかに呼び戻し、なおかつ震災前より売り上げを伸ばせるか」という目標を掲げ、まちづくり協議会が中心となって、個々の地主等から土地の借り上げ、多くの商業者・地権者の連携協力によって被災からわずか5ヶ月で仮設住宅122戸、仮設店舗100店舗が建設されました。戦争により闇市や高架下の市場など、路上で商売する活動があったように、震災後も路上で商いする人がいたのです。
    これらのことから村上さんは、戦災や震災により生まれた商業集積地域を見てみると、空間の安全性と盛り場のにぎわいの両立が難しいことがわかると語ります。長田は戦災から震災の間、大商業地域かつ密集市街地として栄えたとともに、先駆的な都市開発事業がおこなわれましたが、95年の震災によって崩壊。震災後、空間の安全性が求められるようになり、再開発が行われましたが盛り場としての賑わいが戻ったとは言い難い現状です。
    さらに、町の賑わい創出は、空間の安全性の担保だけでなく、高度情報化社会によるSNSの発展によって複雑化したと言います。SNSの発展により様々な情報が簡単に手に入り、地域に訪れなくともその街の風景を楽しむことが可能になりました。しかし、地域には訪れないとわからない魅力があることも確かです。そのため、商業地域としての長田は単に消費を目的に訪れる街ではなく、SNSで情報が双方向につながるように、人と人がつながることでそこに訪れる意味ができる町にする事が重要となります。そうすると、地域の意味は多様化し、その場所の経緯、どのような歴史を辿ってきたのかが問われるようになるでしょう。簡単に情報が引き出せる今、地域の歴史を知り、答えられるようになるのは強みになり得ると村上さんはおっしゃっていました。同じ神戸、長田という場所でも時代によって場所の持つ意味は大きく変化してきました。歴史が積み重なり、場所の意味はさらに多様性を増しました。場所の意味を探るためには、その場所の経緯を知る必要があるようです。

    質疑応答

    講義後、質疑応答が行われました。

    来場者:大正筋商店街は「慰安化」という他の商店街にはない特徴があり、喫茶店やカフェを中心とした接客業のお店が圧倒的に多かった言っていましたが珍しいことなのですか。
    村上さん:この調査は元町商店街などの神戸の代表的な10の商店街を比較対象にとっています。そのなかでも大正筋商店街はやはりダントツで飲食店が多いという特徴がありますね。喫茶店などを分けて計算するということ自体は珍しくはないのですが、やはり店舗数がここまで多いことは珍しいです。
    来場者:飲食店が多いという商店街の特徴を生かせるといいですね。

    まとめ

    今まで「現在の長田・兵庫」しか眺めていなかった私にとって、長田や兵庫の歴史を眺めることはとても新鮮でした。今の「長田らしさ」は戦後の神戸のまちづくりの歴史と深くかかわっていることがわかり、今は目に見えないその地域らしさを見つけるには、「都市史」という観点は重要なのだと感じました。村上さんは、同じ下町でも長田と兵庫は全く歴史や性格が異なるとおっしゃっていて、今回紹介されなかった兵庫の性格も都市史から読み解いてみたいと思いました。

    掲載日 : 2019.01.11

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