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神戸の新しい魅力に出会うウェブマガジン

シタマチコウベ

中元俊介 4th week

みなさん毎度、こんにちはこんばんは、中元俊介です。

 

これまでは作品の紹介をして来ましたが、作ったら飾るということで、最終回は展示をテーマにお話したいと思います。

まず、作品制作ですがこれは(あくまで僕個人の意見ですが)とっても内向的な作業です。日頃起こったこと、感動したこと、伝えたいことなどをテーマにしてキャンパスなどに具現化していくプロセスで、自分は何に感動しているのか、自分は何を伝えたいのかなど、自分の内面まで深く潜り込んで自問自答しながら作っていくわけです。

ゴーギャンの「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」という作品がありますが、まさにそういう気分になっていくのです。

転じて、展示は(しゃれではありません)、そういった嬉し恥ずかしな自分の内面を世間一般の方にお披露目するプロセスで、見る人のことを考えながら行われるとっても外向的なエネルギーなわけです。展示や発表という行為が作品を完結させ、自分と他人をつなぐ大きな役割をしているんですねー。

 

 

ここからは具体的な作品紹介になりますが、これは2016年に「下町アセンブリー」というイベントに出展した作品です。ここはNPO法人芸法さんが管理する角野邸という場所ですが、和室に合わせた空間を意識して展示していますねー。

 

芸法のFBページ

https://www.facebook.com/geiho2008/

 

 

これも角野邸に展示した作品ですが、2018年に開催した「Fools」というグループ展の展示風景です。ロッキングチェアーや棚など、その場所に元からあるものなども配置したりするのも僕は好きで、「この椅子座ってもいいんかな?」とか、どれが作品でどれが元からあるものなのか考えてもらうことなども想定して展示したりしています。

 

 

次は外に飛び出しまして、川西まちなか美術館のイベントの一つ「まち美ウォールアート」で描いた作品です。今も川西駅の近くの駐輪場の壁に展示されています。ここにはのっていませんが、両サイドの枠内にも町の子供達が絵を描いてくれて賑やかになっていますよ。

 

まち美FBページ

https://www.facebook.com/kawanishimachinakabijyutukan/

 

 

最後は「下町芸術祭2019」に出展した作品で、展示場は旧駒ヶ林公会堂です。壁のモヤモヤがとっても美しくて、その風合いと調和することを考えながら制作しました。

 

下町芸術祭HP

https://shitamachi-artfes.com/

 

さて、最終回は作られた作品が展示されている風景を見ていただきました。

僕の結論としては、作品作りや展示は、場所と人をつなぐアーティストのコミュニケーションで、コミュニケーションは下町文化の始まりである。ということかと思います。(無理やりかな?汗)

そして、下町をテーマに4週続いた僕のターンも今回で最終回になりました。

のんべんだらりと書いてきましたが、楽しんでいただけたでしょうか?

今はコロナ禍の下で展示を開催することはまだかないませんが、いつかどこかで皆さんと顔を合わせられることを心待ちにしています。

最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

 

中元俊介

 

 

中元俊介 3rd week

みなさん毎度、こんにちはこんばんは、中元俊介です。

 

今回は、作品紹介をしっかりやりたいと思います。決してコラムのねた切れではありません(汗)

 

 

この作品は、2019年3月に開催された「鉱山と道の芸術祭」に出展した作品です。

僕の展示した場所は、明延鉱山という鉱山の近くの北星社宅という場所でした。

明延鉱山は兵庫県中部にある昭和中期に栄えた錫(すず)の採れる鉱山でした。当時は錫を採掘する為に沢山の人や家族が明延地域に住んでいましたが、昭和後期に閉山されてからは多くの人が家を後にし、今はその名残が残るのみとなっています。

 

 

全盛期には、移り住んできた炭鉱夫の為に社宅や共同浴場、スーパーまでが立ち並び、山奥では考えられないような大きなコミュニティーが形成されていました。僕の展示した北星社宅は綺麗な山々と空に囲まれた土地にある、当時建てられた社宅のひとつです。今は空き家になっていますが当時使われていた物が多く残り、人の息遣いを感じられるような空間でした。

この作品はその当時炭鉱に関わった人たちが見たかもしれない、夕暮れや朝焼けに昇る月をテーマに描いた作品で、月の部分は錫を使っています。作品のコンセプトとして、ミニ小説を書いたので作品と共に見てもらえるとうれしいです。

 

 

「朝行く錫の月」

 

昭和中期、一人の男が家族と共に北星社宅に住んでいる。

昨晩は同僚と上機嫌で飲んで、どのように家に帰ってきたのか記憶が定かでないが、月明りが足元を明るく照らしていたことは妙にはっきりと覚えている。

昨日の酒を頭の後ろに感じながら冷たい水で顔を洗うと少し食欲が出てきた。子供たちと共に支度をして、台所で洗い物をしている妻にいってきますと一言言って家を後にする。

玄関を出ると、向かいの山の上に昨日の月がまだ残っていた。昨日の夜は道案内をありがとうと心の中で呟いて、雪の少し残る道を歩いていく。共同浴場の脇を通ってタバコ屋のお母さんと、今日は雲一つないいい天気だねと、いつもと同じ天気の話を交わし、晴れているからか少し肌寒いなと思いながらも、もうすぐしたら春が来ることを明延川が告げている。

現場にはいつもと同じ顔触れ、昨晩の話を冗談交じりに話し合い朝礼を迎える。

いつの間にか男の顔からは笑みが消え、目の中に一筋の光をやどし坑道へと入る。トンネルをくぐる瞬間に、最近生え始めた次女の歯のことがフラッシュバックのように瞼に映る。

 

 

 

さて、今回はもうなくなってしまったコミュニティーに思いを馳せる回でした。しかし明延では今でも地元の人々がコミュニケーションをとりながら楽しく元気に暮らしています。下町の形態はそうやって形を変えながら移り変わり、新しくリメイクされ続けて生きていきます。あなたの暮らすその町のコミュニティーも100年後には今と違う形になっているんじゃないかな?そう思いながら生活すると、いつもの風景も変わって見えるかも知れません。

 

それでは今日はこの辺で、また次週まで、さようなら。

 

 

中元俊介 2nd week

 

みなさん毎度、こんにちはこんばんは、中元俊介です。 

 

 

続けて読まれている方は知っているかも知れませんが、この週刊下町日和は下町をテーマとして生まれた作品を紹介していくコラムになっています。 

 

ちなみに前回の作品達はドイツの下町ライプツィッヒで展示したモチーフなので紹介しました(後出しになってすみません、汗)。 

 

僕が思う下町っていうのは、情が深く庶民的なイメージです。そうやって定義してみるとどこでも下町なんじゃないって思ったりもしますが、実際人とコミュニケーションをとっていればどこだって下町になると感じています。 

 

人がいて、それぞれの生活がある。今日は天気が良いねとか、玄関の花咲いてきましたねとか、たわいもない会話が日本人の下町的感覚を呼び起こす原動力になってるんじゃないかな。 

 

 

それにしても、ここ新長田っていう土地は実に下町然としています。 

 

だいぶ前になりますが、商店街で大きなクシャミをしたら(コロナ禍のずっと前ね)後ろを歩いてたおじちゃんが「兄ちゃん!でっかいくしゃみやナー!風邪か!?大丈夫か!?」って話しかけられて、そのまま話していたら最終的にはお勧めの餃子屋さんを紹介されてしまった。 

 

 

都会ではありえないよね。僕だって前の人がくしゃみしてるくらいで喋りかけたりしないし、そこからお勧めの餃子って、どんな流れやねん!でもそういうことがあるから、余計にコミュニケーションって面白いなーって思ってしまう。

 

おっちゃんなんで話しかけてきたんやろうとか、なんかいいことあったんかなー?とか。絶対普段は考えないようなおっちゃんの生活まで想像して、何とも言えない感覚にさせてくれる。 

 

 

でもたぶん、都会にもそういう下町っぽさも隠れてると思う。前を歩いてる女の人の背中に長ーい髪の毛がついていて、取ってあげたら変な人と思われるかなーとか。今すれ違った太っちょの双子かわいかったな~とか。みんなすまし顔でおしゃれな格好して歩いているけど、腹の中にはそういう下町のおせっかいおじさんみたいな心が隠れてるんじゃないかな。 

 

そんなことをボーっと思う、めちゃくちゃ天気のいい一日でした。 

 

 

みんなの中に隠れている下町おせっかいおじさんに捧ぐ。 

 

 

 

 

中元俊介 1st week

 

皆さん毎度、始めまして。こんにちは、こんばんは。中元俊介と言います。

4週にわたって僕の作った作品と、しがない文章を綴りますので、しばらくお付き合いしていただければ幸いです。

 

さて、、、

 

僕は抽象画を描いています。抽象画というと「あぁ、あのわけ分からんやつね」と多くの人が思っているんではないでしょうか。

 

 

ということで今回は、何でそんなわけ分からんもんを好き好んで描いているかということを書いていこうかと思います。

一言で言えば、わけの分からないもの中毒です。

 

 

夕方の空の色の移り変わりを見て、綺麗だなって思うでしょ?

 

でもなんで綺麗に見えるのかは分からない。色が綺麗なのか、雲の形が面白いのか、恋する人と一緒に見たからか、どうしようもなく孤独を感じた後だったからか。

わけ分からん。でも綺麗。

 

初めて人を好きになった時も。

 

笑顔がポートレート写真のように頭から離れない。話しても話しても話題が尽きず、周りは暗くなっていくのに、どうしても足が帰路に向かない。眠る前に奇声を発しながら布団の上をゴロゴロ転がる。

わけ分からん。でも楽しい。

 

小さな幸せも。

 

朝入れるコーヒーがいつもより美味しく感じる。おつりの額が888円。遠くの公園から子供の声が聞こえる。友達の肩にテントウムシがとまる。バターの匂いがする。

 

わけ分からん。でもうれしい。

 

 

そんな、わけの分からないものが大きな意味を持って、生きる活力を燃やそうとしているように僕は感じます。

 

わけが分からなくてイライラすることや不安になることもいっぱいあるけど、わけが分からないからワクワクするものや魅力的に感じるものもたくさんある。

 

わけ分からんけど、なんか良い。そんなふうに思ってもらえるものを作りたいと思って絵を描いています。

 

 

今回の作品は「グリッドシリーズ」。ドイツで暮らしていたときにエレクトロニカミュージックに影響を受けて描いたものを、新長田に来てからもう一度描き直したものです。それを下町の路地の中の色々なスポットに配置して撮影してきました。

 

背景がモヤーっとして、四角がいっぱいあって目がチカチカするけど、また見てしまう。わけ分からんでしょ?でも良いと思ってもらえるとうれしい。

 

あなたの生活の中に、わけの分からないものの居場所を少しでも提供できれば幸いです。