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森本アリ 4th week 『うしなわれゆくものとはいわせない』

地下鉄海岸線・JR和田岬線の和田岬駅から御崎公園駅の間は徒歩10分程度。この10分の距離の間に、重要文化財級の立ち飲み「木下酒店」があり、面白い人たちが集い、結果的に町を耕す食堂「カルチア食堂」があり、NHK「ドキュメント72時間」の神回を始め伝説を更新し続ける、子どもからオヤジまでが集う駄菓子屋「淡路屋」がある。ちょっと飛んで、北欧ヴィンテージ家具・雑貨とカフェが融合した「北の椅子と」。一癖ある面白いお店が軒を連ねる「笠松商店街」には、わざわざ遠くからも買いに来る人が絶えないパン屋「メゾンムラタ」、常連のために開けつづけご新規さんに銭湯の良さを知ってもらうためのイベントにも目配せを欠かさない「笠松湯」。

 

古き慣習や伝統を守る、工場通いの労働者が家に帰る前のクッション、セカンドホームの立ち飲み屋たちのような昔からの店も多いが、若い感性による最近できた店も多い。共通するのは、それまでの歴史や建造物の上に地続きにあるということ。

 

日本の家の一般的な耐久年数は30年と言われる。解体された住宅の築年数から算出される数字なのだそうだ。それは、レンガ造りが主流のアメリカでは55年、イギリスでは77年とある。ヨーロッパの古い町に行くと都市全体が何百年、中心部はほとんどの建物が築三百年以上なんてこともよくある。さすが石の文化、燃えても石の構造が残る。木造は30年~80年、鉄骨構造は30年〜60年、鉄筋コンクリート構造(RC造)は40年~90年が、日本での一般的な建物の耐久年数。

 

でも、例えば木造の五重の塔。奈良の法隆寺は築1300年。木造住宅の耐久年数と大きな隔たりを感じるのはなぜか。もちろん構造も材料も超一級なのは間違いない。でも最も大きな違いはメンテナンスだ。新品を購入してボロくなったら捨てる。家に対してもそんな感覚なんだろうか。修理、メンテナンスをし続ければ、街全体だって維持できる。再開発も道路拡張も区画整理もいらない。安心安全、緊急車両が通れる道幅、そんな大義名分を盾に失われていくものが多すぎる。狭い路地だから行き届くお互いの気づきも多い。助け合いも多い。緊急車両だって町に合わせて小型化すべきだ。

 

和田岬の町にあるいいもの、駄菓子屋・銭湯・立ち飲み屋は、「うしなわれゆくもの」だと言われそうだ。うしなわれゆくものとはいわせない。

 

御崎公園駅に近づく。和田岬地区から浜山地区に入るとガラッと雰囲気が変わる。「音遊びの会」の拠点として使わせてもらっている和田岬会館はそのボーダーにある。数年ごとに名前が変わる神戸ウィングスタジアム→ホームズスタジアム→今は「ノエビアスタジアム」。その前には大型店舗がどしっと構え、その先は両脇に高層マンションだ。一本奥に入るとかつての営みが残る住宅街が広がっていたりもするが、そこには断絶があり、地続きな感じがなくなる。

 

震災で大きなダメージを負い、大きな舵取りが必要だったのだろう、虚しく「まちづくり」の字が光る。少なからず「まちづくり」に関わる身として、「まちづくり」という言葉は重い。「つくる」はおこがましい。僕らがしなきゃいけないのは、「守る」「継続する」。その大前提のもとでの、「かえる」「つくる」。「まちづくり」の替わりに「まちあそび」「まちいじり」なんて言ってみることがある。その時々のシチュエーションには合った言葉選びだけど、今でもいい言葉が見つからない。「まちづくり」という言葉はきらい。

 

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森本アリ 3rd week 『路地でつまずく、路地でうなずく』

見るだけだったインスタに、ふと、ちゃんと写真を載せ始めた。2ヶ月くらい前のこと。これまでは、いい風景、面白い情景を見つけても数人で分かち合うだけだったが、自慢しようと思い立った。インスタのプロフィール欄には「まちのかたち/サンポノキロク」とだけ記してる。本当にそれだけだから。

 

自分にとっての面白いもの・ことをせっせと撮っては、ふるいに掛けてアップして、いいねの数に振り回され、ない、振り回されるもんか。気に入ったものを人に気に入ってもらえた時は嬉しいもんだ。でも振り回されんぞ。

 

神戸〜兵庫〜新長田〜鷹取の南の方の路地巡りが趣味と言って差し支えない。数年前は駒ヶ林の路地を一本一本試すように制覇していた。細い路地の途中に、ほんとうに突然現れる「平忠度の腕塚」。駄菓子屋「たこやきフレンド」はおはなしも面白いし能面もいっぱい見せてくれる。「蛭子神社」には、舞子・西垂水・東垂水・塩屋・須磨浦・東須磨と刻印がある。「駒ヶ林神社」の鳥居から漁港への勇ましい道も素敵。そしてハードコアな空き地も好物だが、最近は防災空地として、そして多文化共生ガーデンとして、ベトナムの人たちがパクチーを育てていたりする。それも超豊作。話しかけたら大きな束をくれた。美味しかった。ありがとう。路地の先に路地の先に、次から次に繰り出すエンターテインメント。駒ヶ林は小宇宙。

 

最近は、苅藻の路地を一本一本試してる。細やかな装飾、ディティールの豊かな長屋がとても多い。地蔵尊が楽しい。あふれだす緑に心が躍る。町工場と住宅が隣り合わせ。鉄製の鳥居に周辺の鉄工業の気合いを感じる。突然現れる石畳から、かつてあった市場とその賑わいに思いを馳せる。そんな発見をすかさず記録する。

 

26年前の震災で大きなダメージを負った地域に残された小さな営みを訪ね歩いてるのかもしれない。残ってくれてありがとう。これからも大事にしていきたい。

 

そうして、元々楽しんでいる路地考がもっと楽しめるようになってしまった。インスタの思う壺だ。

 

インスタにつまずく、インスタにうなずく。地蔵尊につまずく、地蔵尊にうなずく。路地につまずく、路地にうなずく。

森本アリ 2nd week 『ワンダーランド』

神戸市営地下鉄海岸線は、「駒ヶ林」「苅藻」「御崎公園」「和田岬」「中央市場」という、普段電車の車窓から神戸の町を眺めているだけでは見えてこなかった、小さな歴史がいっぱいに積み重なったエリアに、まるでタイムスリップするかのごとく誘ってくれる。

 

とはいえ、車窓からの景色を楽しめず、ただ駅から駅へワープするツールに僕はなじめないので、もっぱら海岸線沿線をしらみつぶしに、あみだくじをなぞるように歩くことを至上の喜びとしている。僕にとっては、「もう間に合わない、助けてっ」とワープが必要な時に乗り込むのが地下鉄海岸線。それはそれでとても助かる。

 

塩屋のあれやこれやでどっぷりなのに、わざわざこのエリアに足繁く通うきっかけを作った師匠が2人居る。このサイトにも顔を出す角野史和くんと三宗匠くん。お二人共に15年くらいの付き合いだ。

 

神戸発、ジモトとジモトが互いのプライドをかけてシノギをけずる、地域系お見立てバトル頂上決戦「ちいきいと」というイベントシリーズがある。これは、「神戸〜阪神間の各地から「まちの顔」が集結し、お題にあわせた写真とトークで、血で血を洗う終わることのない地域間抗争を展開している。だいたい3ヶ月ごとに、商店街から海の家まで、グッドロケーションで開催中」なんですが、なんのこっちゃわからないこのイベントは、なんやかや2020年で10周年。すでに29回目を迎えた。記念すべき10周年30回目を参加型ワークショップ形式で開催したい特別編は、コロナによって2度延期したままだ。私たち3人は共に「ちいきいと」の「中の人」。「ちいきいと」というリングでプロレスをしている。

 

「ちいきいと」で角野くんは長田区、主に駒ヶ林周辺の、三宗くんは兵庫区、主に稲荷市場周辺の、激烈に面白い写真とそれを解き明かす言葉で、彼らが活動するエリアの魅力を伝える。そしてそれぞれに「こと・デザイン」「salon i’ma」という拠点を持ち、地域に根ざしている。彼らが紹介する、もの・こと・情景は、インスタ映えするようなキレイ・カワイイ・ステキなものではない。それは、マジで? すげー! コワッ! ぎゃー! という強烈なものだったりする。そして、ひとしきりその写真の背景が語られると、じわじわと胸が熱くなってしまうのだ。もちろんただ笑い飛ばせる時もある。最高だ。

 

僕は「シオヤプロジェクト」(以下シオプロ)という塩屋の町をいじる文化的装置を主催しています。数年かけて塩屋の路地を歩きつくし、地図「ぶらり塩屋の町」を完成させたシオプロは、塩屋の町を飛び出し、「シオヤプロジェクトの勝手にまち探訪」という、7時間のトライアスロンのようなまちあるきを始めた。今年で4年目に突入し32回を重ねた「勝手に『よその』まち探訪」は、駒ヶ林7時間、苅藻7時間、和田岬7時間を経験し、角野くんには年に一度は案内人をお願いしている。そしていつか三宗くん案内の、稲荷市場・東出町・西出町の7時間まちあるきが実現することを心待ちにしている。

 

今回紹介する、「まちのかたち/サンポノキロク」は、この2人の洗礼を受けた先の海岸線ワンダーランド。それは、地蔵尊と共存するあれやこれや、目の錯覚ではない屋根の傾き、積み重なるアクロバティックな建造物・造形物、路地の奥に突然現れるベトナム仏教のお寺、無造作に鎮座する神様たち、ハッとする・ギョッとする表記たち。

 

いとおかし、ああたのし、ここはワンダーランド。

森本アリ 1st week 『あふれだし』

長田・兵庫の下町には緑がないと言われるらしい。まあ、そうやわな、そこらじゅう灰色やわ。っておいおい、よーく見てみなさい。狭い路地にあふれんばかりに植物が、緑が、「あふれだす」様子を!

街路景観や建築計画の用語では、植物や置き物など飾りや表現として路地にはみ出しているものを「表出」、自転車やバケツなど置き場に困ってはみ出てしまう場合は「あふれだし」と言うらしい。しかし、敬愛する「下町レトロに首っ丈の会」(兵庫区・長田区・南部地区ーーまさにこのサイトで取り上げられるエリアーーに今も残る下町情緒という財産に首っ丈な20代から80代の女子有志の会)が「あふれだし」言うてるのと、この「あふれだし」という言葉と植物が「あふれだす」様子に感情が「あふれだす」ので、この表現を使わせてもらいます。

庭がないから柵もないし塀もない。鉢植えは家の前の路地に置く。花が咲いたら隣近所でそれを楽しむ。緑が生い茂れば夏は涼しく冬は優しい。緑以外の意外な造形物もちらほら出現する。路地全体が個性豊かな作品のようだ。そうした路地は信頼と喜びを共有する公共空間。

台湾に旅行した時、気候が少し違うというだけではない、公共空間や自然と共生する概念がずっと豊かだと思った。鬱蒼と生い茂る街路樹、アパートの各ベランダから飛び出す観葉植物が羨ましかった。

僕の家の前の路地にも最近、植木鉢があふれ出しました。庭木も、向かいの家の桜の木とうちのねずみもちの木が重なり合って、路地を緑で覆い始めた。強い日差しから優しい影を作る。今年の夏は少し過ごしやすそうだ。