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神戸の新しい魅力に出会うウェブマガジン

シタマチコウベ

Shitamachibudie

vol.38

大道建設|大道公一さん・一輝さん親子にまつわる 4 つのこと

土台は築いた、あとは好きにやったらええ

2021.03.02

日本最大級の兵庫運河があり、商工業地域として古くから栄えきた和田岬。2度の大戦や災害の影響で歴史的な建造物こそ残っていませんが、商工業が盛んになる中で培われてきた 独自の文化が、暮らしの中に息づいています。今回、お話をお聞きするのは 70 年に渡り工業の発展を支えてきた大道建設のお二人。実はシタマチコウベ初の親子取材です。4代目社⻑で和田岬まちづくり協議会(以下、まち協)の会⻑も勤める父・公一さんと、入社1年目、ただいま修行中の息子・一輝さんに、三菱村と呼ばれるこのエリアならではの商売のこ と、町をおもしろくしている要素についてお話を伺いました。

文:山森彩 写真:岩本順平

 

三菱村で 70 年、商売を続けてきて

大道建設は、三菱重工の事業所を中心に修繕や営繕なんかを手がけています。新しい部署が新設されたら看板を作り替えたり、ホワイトボードの設置から雨漏りの修理に至るまで、事業所を専門とした建物のお医者さんのような役割でしょうか。もともと三菱重工で設計の仕事をしていた祖父が起業したのが会社のはじまりです。その後、阪神・淡路大震災をきっかけに木造だった本社を立て直して、住居とテナント付きの 5 階建ての本社ビルが完成し て、私たち一家が垂水区から引っ越してきたんです。そして、2019 年に叔父から社⻑の座 を譲り受けました。この辺りは“三菱村”と呼ばれ、東⻄南北どこを見回しても三菱関連の会 社や施設が並ぶ特殊なエリア。三菱の造船業から歴史がはじまって、盛んだった頃は⻘いつなぎを着た工員さんがいっぱいいて、自転車で走り回って、帰りに一杯飲んで…という文化 が定着していました。なんでもある町やと思うんです。和田岬砲台、清盛塚、兵庫運河、ノエビアスタジアム神戶、三菱さんなどの企業。それに鉄道好きには和田岬線はたまらないだ ろうし、最近ではイニエスタが町を歩いてる。そういうマニアックな観光資源みたいなもの があって、住みよいというよりは、いろんなものが混在している雑多な感じがおもしろい町なんちゃうかな。(公一)

 

地域デビューのきっかけは PTA 会⻑

4 人目の子どもが小学生の時に和田岬小学校の“とんどやき”の手伝いに行ったら、近所の鉄工所の道林さんに声をかけられて PTA の会⻑を引き受けることになったんです。それがき っかけで地域のことを学び、活動をするようになって。お恥ずかしい話なんですが、それまでは町の資源なんてあまり意識したことがなかったんです。でも、兵庫運河のことを知り、「キャナルレガッタ神戶」の活動に参加するようになってからは、新川運河キャナルプロムナードの整備や景観条例の作成にも参加しています。また、和田岬出身のイラストレーター 山崎秀昭(the rocket gold star)さんを中心に、小・中学校や高校の先生や生徒に協力して もらって、防波堤の壁面を水族園にする「防潮堤水族園」企画なんかも手がけました。運河 では、貯木場を活用した兵庫運河・真珠貝プロジェクトも続いていて、子どもたちの環境学習なんかにも活かされています。和田岬まちづくり協議会の会⻑になったのは 2013 年。将来のまちづくりのためにある組織だから、若い人たちにまちづくりの実行役になってほしいと思って、「淡路屋」の伊藤さんや「カルチア食堂」の仲島さんに声をかけてメンバーに入ってもらったんです。兵庫区エリアの「地蔵盆マップ」を作ったり、笠松商店街と協働で 夏祭りを開催したり。残念ながら、2020 年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で活動 が止まってしまったんですけどね。(公一)

 

知らなかった繋がりが見えてきた

物心ついた頃から家業は継ぐつもりでいたので、建築の勉強をするために神戶高専から神 戶芸術工科大学に編入しました。昔からまちづくりに関わることは当たり前のように感じ ていて、大学では和田岬のエリアについて研究をしていました。企業、町工場、住宅などが 混在する町並みが魅力的だと感じて、その理由を探るために町の構成についてリサーチを したんです。大学院を卒業したあとは、大阪の建築事務所で 5 年ほど修行して一級建築士 の資格も取得しました。2020 年の4月に大道建設に入社して、今は父のもとで修行中です。

以前は茶室を新築したこともあると先代から聞いたことがあって、これからは新築も手が けていけたらいいなと考えています。ちなみに僕は昨年結婚をして家を出たけれど、それまではずっと実家暮らし。子どもの頃は友だちを連れ立って自転車で地蔵盆ツアーにまわっ たりしていました。父と同じように道林さんに声をかけてもらって 18 歳の頃から地元の消 防団に所属しています。町がおもしろくなってきているのは、「カルチア食堂」の存在は大 きいんじゃないかな。あのお店ができてから、いろんな関係が可視化されて、繋がった。あの場所は、以前は「和田屋」という飲み屋さんで、地元の老若男女の溜まり場で、地元ネタ の情報交換の場だったんですよ。そういう空気感が自然と受け継がれているのもいいです よね。(一輝)

 

先代が築いた礎と、次世代の仕事と暮らし

2021 年はハーバーランドにある「こべっこランド」が中部処理場跡に移転してきますし、 海岸線は中学生まで無料で、子育て世代の人たちが暮らしやすい環境が整いつつはあるん じゃないでしょうか。そこに、昔から地蔵盆の文化とかが混じって、若い世代の店も増えて きて、より味のある町になりよんちゃうかな。大道建設は地元に腰を据えてやってきたか ら、これからも地域との繋がりは大事にしていきたいし、その土台は築いてきたから、あとは息子が好きにやってくれたらいいと思ってます。私に残せるのはそれだけ。あとはオリンピックが無事開催されて、阿部兄弟が金メダル取ってくれたら町にもっと元気が出るのに なぁ。(公一)

和田岬は混沌とした町並みの中に、兵庫運河というヴォイド(構造物がない空間)が突如として現れます。そのことが町に開放感を与えつつ魅力的な街並みにしているのではないか と思います。昔は企業がたくさんあって運河が活用されて、いわば町の“表の顔”だった。し かし、陸路が発展したことで運河沿いが“裏の顔”になっていった。でも、町の人たちが手入 れをして運河が美しくなったことで、観光資源としてのポテンシャルが見えてきたと思う んです。それにやっぱり町がカオスで面白い。子どもの頃から知ってるおっちゃん、おばちゃんがいっぱいいる一方で、新しい人たちが増えてきてて。これから何かがはじまりそうな 予感がするんですよね。僕も、家業にも地域にも貢献したいと思っていて。まち協の活動にも参加したいし、運河や倉庫を活かしたイベントを企画したり、もっとこの町でおもしろい ことをたくさん仕掛けていきたいです。(一輝)

大道建設株式会社 代表取締役
大道公一

1960年生まれ、神戸市須磨区出身。1951年に創業した大道建設株式会社を2019年に継承し4代目社長に。和田岬小学校のPTA会長を経験したことをきっかけに、兵庫運河の活用などまちづくり活動に積極的に取り組む。和田岬まちづくり協議会会長。

大道建設株式会社
大道一輝

1988年生まれ、神戸市兵庫区和田岬出身。一級建築士。神戸芸術工科大学 芸術工学研究科 デザイン専攻修士課程修了。修士研究としてエリアリノベーションの調査・研究を行う。卒業後、大阪の一級建築士事務所ROOTE株式会社に勤務。2020年に大道建設株式会社に入社。

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