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神戸の新しい魅力に出会うウェブマガジン

シタマチコウベ

Shitamachibudie

vol.29

TONARI DESIGN|増井勇二さんにまつわる4つのこと

和田岬のリノベーションビルからはじまった充実した日常

2019.05.29

今回、お話を聞いたのはリノベーションビルで生活するグラフィックデザイナーの増井勇二さん。場所は和田岬駅から西へ徒歩2分、高松線の南側に佇む3階建のもともとは釣具屋だったビル。お隣の食堂酒場「カルチア食堂」の店主や常連客とともに約2年に渡って改装工事をおこない、現在はイベントスペースと増井さんのオフィス兼居住スペースに生まれ変わっています。外壁には“釣具”の看板を掲げたまま当時の面影を残し、ビルの外に置いた手づくりのベンチはご近所さんたちの憩いの場にもなっているそう。リノベーションをきっかけに和田岬に移住した増井さんの、日常やお仕事について伺いました。

文:山口葉亜奈 写真:岩本順平

 

飲み仲間とのコミュニティから生まれた生活空間

僕がこのビルに暮らしはじめたきっかけは飲み仲間のコミュニティから。隣にある「カルチア食堂」の店主、仲島義人くんが僕の大学時代の同級生と幼馴染で、義人くんも含めてよく一緒に遊んでいたんですよね。僕は生まれも育ちも長田だから、義人くんが和田岬に「カルチア食堂」をオープンすると聞いて、当時は今ほど親しい間柄ではなかったけれど、ご近所だし食べに行ってみたんです。そしたらえらいおいしくって。それからお店に通うようになって、他の常連さんともどんどん友達になって、いつのまにか“飲みコミュニティ”ができていたかな。この元釣具店のビルは、長い間空き家だったから、ビルを管理している酒屋さんが好きに手を入れていいと言ってくれて、当時「カルチア食堂」の2階に住んでいた平井陽くん(義人くんの幼馴染)が出資するのでみんなで改装しようと呼びかけたのがきっかけで、その声に飲み仲間たちがどんどん集まりみんなで改装することになったんです。2015年から休日を中心にコツコツと改装をしはじめて、およそ2年以上かけて完成。その過程でも、「カルチア食堂」のお客さんや建築に興味のある学生たちが新たに仲間に加わったりして。このまちの人たちが手伝ってくれて、できあがったビルなんです。完成した当時は、1階が用途の決まっていないレンタルスペース、2階が一緒に改装をしたカメラマンの写真スタジオ、3階が僕の住居だったけれど、今は1階以外は僕が借りていて。僕のデザイン事務所「TONARI DESIGN」のオフィスと居住スペースになっています。

 

“なんとなく”過ごしていた人生に一本筋が通る出会い

デザインの仕事をはじめた理由は特になくて。なんとなく、だったんです。美術がちょっと得意だったこともあって、宝塚造形芸術大学(2010年に宝塚大学へと改名)のビジュアルデザイン&アドバタイジングコースに進学したものの、在学中はダンス漬けの毎日。ほとんど勉強をしていなくて。就職のときも、一応デザイン系の会社を受けておこうと思って一社だけ受けたら採用されて。そんな風にぬるっとデザインをはじめました。入社したのは、ホームセンターに陳列されているような商品のパッケージデザインを得意とする会社。入社して3ヶ月くらいはデザインをさせてもらえず、誰よりも早く出勤して掃除や花の水やりをしていました。というのも、オーナーが「自分の身の回りのことができていない人が、生活に寄り添うものをデザインしたらあかん」という考え方だったんです。だから、掃除やお茶くみなど、誰かが気づく前にするっていうのを徹底しましたね。この社長には、ダラッ生きていた僕の背筋をピンと正してもらいました。1年半くらい経って、ようやく自分がしたいデザインの方向性が見えてきて、デザイン部門のあるイベント会社に転職。そこではいきなり仕事を任せてもらって、いくつもの案件を抱えるようになって。わからないながらも手探りで仕事を進めながら、スケジューリングやデザインに使う素材の撮影、テキスト作成まで全部自分でこなしていました。常に抱えきれない業務量だったので、この会社では根性が身についたかも。

 

日常の心地よいサイクルが生む充実した仕事と関係

寝て起きて仕事をするだけの日々に疲弊した頃、次のことは何も考えないで4年ほど務めた会社を辞めました。その後は知り合いから仕事を頼まれたり、友達に紹介してもらった広告代理店からの依頼など、目の前にある仕事をこなしていくうちに、気がついたらフリーランスのデザイナーになっていました。2016年からは、お世話になっているデザイン会社さんと一緒に大阪の福島にオフィスを移転。2018年に結婚して、今年の4月に息子が生まれました。だから今は、週の半分は大阪に出勤して、もう半分は家事や育児をして、息子の顔を見ながら在宅で仕事をしています。家族が増えてからは、慌しく働いていた生活からガラリと変わり、丁寧に暮らすことを意識できるようになってきたかな。朝起きたらじっくりと時間をかけてコーヒーを淹れて、仕事をはじめて、疲れてきたら子どもの顔を見てホッとして、昼も夜も家族で食卓を囲む。そんなサイクルが心地よくって日常が充実しています。生活の中に自分が大切にしている時間やサイクルがあれば、仕事をしている時間も充実するなって。だからひとつひとつの仕事が丁寧にできてる。逆に雑な仕事をしていれば、相手に伝わってしまうから、どんな仕事も大切にして、丁寧さの中に自分らしさを加えられたら、お客さんとの関係が長く続いていくのかなと思う。意外と真面目なんです、僕(笑)。義人くんもそうだけど、自分の暮らしも仕事も両方を大事に生活している人が周りに多くなってきたから、すごく刺激を受けるし、幸せな環境ですね。

 

街灯のような“スパイスカレー”の存在


最近、週に1、2回はつくるほどスパイスカレーづくりにはまっています。大学時代の友達が遠くに引っ越すので、その送別会でスパイスカレーを振る舞おうって話になったのがきっかけ。ネットで調べながらつくったら、はじめは全然うまくいかなくて、「市販のルーを投入してやる!」と何度思ったことか。けれど、なんとかおいしいものが完成して。そのときのつくり上げていく工程がおもしろかったんですよね。近頃よく行く新長田の「神戸スパイス」には、壁一面にスパイスがディスプレイされていて、選んで購入する感覚が、ミニ四駆のパーツを必死で集めてオリジナルをつくっていく小学生の頃のあの感覚と似ていて、つい集めたくなる。最近では、義人くんもおいしいと認めてくれるほど、味も安定してきたかな。だけどカレーに完成形はない、いわゆる研究食(職)だから、こだわりつつもほどほどに。もちろん食べるのも好きだけど、つくって喜んでもらえることや、振る舞うことで生まれるコミュニケーションもおもしろいんです。カレーができたらSNSで告知しているから、近所の友達が食べに来たり。時々「カルチア食堂」に持って行ってお客さんに提供したりしています。お気持ちでカンパしてくれる人もいて、カレー貯金が少しずつたまってるいるので、そのうち一升炊きの炊飯器を買おうかなって。カレーづくりは今や僕の精神安定剤になっているし、カレーは人が集まる街灯みたいな存在なのかも。

TONARI DESIGN|グラフィックデザイナー
増井勇ニ さん

1984年生まれ。宝塚造形芸術大学 ビジュアルデザイン&アドバタイジングコースを卒業後、数社のデザイン会社勤務を経て、2013年にフリーランスに。2017年1月から屋号「TONARI DESIGN」での活動を開始。和田岬に3階建の釣具屋だったビルを改装し、住居兼事務所を構える。

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