音遊びの会 飯山ゆいさんにまつわる4つのこと このまちと、この人たちと、新たな音を作りあげる

2017年、知的な障害がある人たちと即興音楽を得意とする音楽家、総勢50名のアーティスト大集団「音遊びの会」が神戸大学での活動を終え、和田岬へと移ってきました。彼らの新しい拠点は、和田岬駅から西へ徒歩5分の、かつて地域住民の寄り合い所として使われていた「和田岬会館」。今回は代表の飯山ゆいさんに、「音遊びの会」との出会いを伺うとともに、この町での活動や子育てから見えてきた町の姿についてお聞きしました。

文:北村眞弓美(市民ライター) 写真:岩本順平


音楽人生に刺激を与えた「音遊びの会」との出会い

写真提供:飯山ゆい
私は母親も祖父母も音楽教師という環境で幼いころからクラシックピアノをやっていて、そのまま大阪の音大に進学しました。だけど、ピアニストとしてステージで拍手をもらうタイプではないという思いと、母の影響もあって、神戸大学で音楽の療法と教育にまつわる勉強を始めました。「音遊びの会」が始まったのは私が大学院2年目の2005年。先輩の沼田里衣さんが企画した「音遊びプロジェクト」に誘われたんです。沼田さんは当時、知的障害のある人との即興演奏について研究をしていて、このプロジェクトは知的障害者と即興演奏を得意とする音楽家が一緒に公演をするというもの。そこにはその後NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」の音楽で広く知られるようになった大友良英さんもいらっしゃいました。大友さんの“ノイズミュージック(※)”や、そこに集まる音楽家たちそれぞれのユニークな音楽。それらが私にとってすごく刺激的で面白かったんです。当初は7カ月の間にワークショップと2つの公演をおこなうプロジェクトだったのですが、継続を希望するメンバーが多くて、気がつけば14年。ずっと即興演奏が中心のワークショップと、年数回の公演活動を続けています。初めはアートマネジメント経験のあるスタッフもいなくて、ゲストの謝礼をどうしようとか、若気の至りでの失礼をたくさんしたと思います。それでも、総勢50人みんなで色々と知恵を出して補い合って続けられています。

※ノイズミュージック:原則的にノイズを主体とした非楽音で構成される音楽

ご縁の繋がりからの新たな出発

私が「音遊びの会」の代表を引き継いだ2017年の8月。同時期に長年活動していた神戸大学を離れることになり、新しい拠点を探さなければならなくなりました。音が出せて交通の便も良く安価であること、という難しい条件。それでも会のメンバーの森本アリさん(塩屋・旧グッゲンハイム邸管理人)から兵庫区のまちづくりに関わる方や商店街の店主さんなどにご縁が繋がって、「和田岬会館」にたどり着きました。「和田岬会館」は築50年以上の古い3階建てのビルで、その3階を借りましたがとにかく古いのでまずは拠点として整備するところから。夏場はすごく暑いので、ワークショップは他の会場を借りてやりながら、床磨きや手すりの取り付け、ペンキ塗り、楽器棚の制作などのリノベーション工事をほぼメンバーのDIYで進めました。カーテンやエアコンなどの必要な備品も費用や現物を寄付していただいて、今ではエアコン2台完備です。本当は足の不自由な方も参加できるような環境が欲しいですが、また地域のご縁に期待しつつというところです。本格的にここでの活動がスタートしてからは新たな試みとして、月2回のワークショップに定員3名で誰でも参加できるようにしています。メンバーにとって、やったことない人とか見たことない人が何をするのかな?って言うワクワク感と一緒にやれば、即興は一層面白いし、お互いの刺激になると思ったんです。ミュージシャンや活動に興味がある方が遠方から参加されたり、昨年にはリピーターの小学生2名を新しくメンバーに迎えるきっかけにもなりました。

兵庫、塩屋、新長田での地域の人との共創

少し遡って、私は兵庫運河周辺で地域の人達や学生、アーティストが音楽会をするプロジェクト「運河の音楽」(2009)、「運河のほとりでおおだまこだま」(2011)に参加しました。その経験もあって、2014年には今私が住んでいる塩屋商店会主催の文化祭「しおさい2014」の企画に関わることに。その一番の目玉が「歩き回り音楽会」です。参加者が町を歩く先々で、防波堤でサックスの演奏が始まったり屋根の上からラッパが鳴ったり。そこに出演してくれる何十組の人を探すのに、塩屋中の飲み屋さんや商店街の人に紹介してもらいました。最初はとっつきにくい人もいたけれど知り合いも増えて、町には自分が知らなかっただけで色んな人がいるなって。町を見る目が変わる面白い経験でした。私自身のそんな経験もあって、「音遊びの会」が和田岬に拠点を移してからは会としても地域での活動を意識するようになりました。新長田の商店街にある「ArtTheater dB Kobe」という劇場で「びっくりぼっかけ商店街」という公演をしたり、兵庫駅前広場や荒田公園のイベントに誘っていただいたり。新開地の神戸アートビレッジセンターの共催公演「〇〇と音遊びの会」シリーズも今年の7月で3公演目。少しずつ地元のバンドとしての活動を増えてきています。2018年には、新長田のアートイベント「藝賭せ(げいとせ)」にで参加しました。このイベントは新長田の病院や介護施設、劇場などが主催で、その空いている場所を会場に開催されました。いつもの公演とは違って、町の人が日常の中で思いがけずメンバーの表現に出会う。それがごく自然に感じられるものでした。今は障害のある人とそうで無い人が、お互い接する事が少ない社会になってしまっている気がします。障害のある人が周りの人の一つの潤いになったり、その人がいることで優しく強くなれることがあると思うんです。彼らの存在自体が、町にとって、周囲の人にとってプラスになる。“障害”に限らず、色んな違いをもった人がごっちゃ混ぜである状態がいいなと思います。それが「音遊びの会」を続けていこうって思う理由の一つです。

第2、第3の地元としての和田岬

木材加工所での公演風景(写真提供:飯山ゆい)
「音遊びの会」のワークショップがある時、笠松商店街のお店でご飯を食べたりします。つい最近も、お店に入ると「あんたら音楽やる人やろ?」って盛り上がってくれて、すごく歓迎してくれたんです。その人達がみんな「音遊びの会」の活動に興味があるわけじゃないけど、「へぇ〜」って感じですんなり受け入れてくれるんですよね。この町には障害のあるメンバーや新しい試みを受け入れる器がある。今、息子が兵庫区松原通りにあるちびくろ保育園に通っています。塩屋からは離れますが、ちびくろ保育園近くの児童館の指導員をしていた頃からそこに通う子どもたちの自由なところが気に入っていました。多分、息子にとっては和田岬が第二の地元なんでしょうね。あっちに行けば駄菓子屋の淡路屋さんでおやつが買える、そっちには友達の家がたくさんある、ここには「音遊びの会」の部屋がある、っていう感じで。
私にとっては自分が育った滋賀が第一、今住んでいる塩屋が第二、そして、会の拠点を置いているここ和田岬が第三の地元になりつつあります。そんな場所で活動できることが嬉しいです。先日、この近くにある木材加工所で二日間の公演をしました。もともと工場がたくさんあって日頃から機械音に慣れ親しんでいる地域なので、住宅街でも音を出させてもらえるんです。コンサートホールのような客席は無く、演者もお客さんも工場の中を歩き回りながら楽しむスタイルで。音楽に限らずメンバーのやりたいこと、好きなことで演目を練り上げました。加工所のオーナーの方が本当に良くしてくださって、木材や大きな機械があるそのままの状態で、この地域ならではの舞台になったと思います。