
対談を通して、地域や取り組みの中にひそむ多面的な魅力を探る座談企画「シタマチケミストリー」の第6回。
2009年から新長田の劇場「ArtTheater dB KOBE」を拠点としつつ、街にも飛び出して様々なプログラムを展開してきたダンスボックス。その立ち上げ人で理事長を務めていた大谷燠さんが昨年夏に72歳で急逝。そして、今年1月にはダンスボックスに長年関わってきた3人が共同代表に就くことが発表されました。
新長田の街にとっても大きかった大谷さんの功績についてはまたどこかで語られる機会を待つとして、ここでは新代表の3人が今あらためて思うところ、考えていることなどをざっくばらんに話してもらいました。なお、3人で共同代表の形をとることは大谷さんが亡くなる前から相談を進めていて決まっていたことだそうです。
文:竹内厚 写真:岩本順平
3人で代表を務めること
田中:共同代表のことを発表してから、いろんな方に「おめでとうございます」と言っていただく機会がありますが、実はすこし戸惑いもあって。
文:私たちはなんも変わってないからね。
田中:私たち3人が何かを新しく始めるわけでもなく。むしろ、私たちより若い人たちがやっていくものだと思っているので。
文:私たちの時代やからどうこうするっていうのは確かにないね。ただ、3人で代表を担うのはいいな、っていろんな人から言われたのはよかった。やっぱり男性ひとりで担っていく時代でもないから。
田中:これから新しくダンスボックスと関わる人たちって大谷さんと会ったことがない人が出てくるわけで、大谷イズムというのではないけど、大谷さんが持っていた理念みたいなものは継承していけたらいいなと思ってます。やっぱり組織としてそれがあったから、私はここに居続けられたので。
横堀:私ら3人もそうやけど、個々のスタッフが思う大谷さんの理念みたいなものって、たぶんそれぞれに違ってると思います。でも、それをそれぞれが大事にしてやっていくのでいいと思う。
文:理念として掲げてたわけじゃないけど、ホスピタリティというかな、「来る者、拒まず」みたいなところはずっとあったと思う。
横堀:私は1999年、大学4年生のときに『上方芸能』が主催する「イベント文化仕掛け人学校」という授業に参加して、そこで大谷さんのレクチャーを聞いて、その日にボランティアでダンスボックスに関わりたいですって言って、文さんの面接を受けたんですよね。そこから27年、かなり自由に好きなことをやらせてもらってきました。
田中:それで言うと私は2011年の1月、留学先のドイツから帰国して、ダンスボックスが新長田に場所を移したというのを知って。その前に、2006年に一時帰国したとき、大阪のフェスティバルゲートでダンスボックスが活動していた大谷さんに話を聞かせてもらったことがあって、そのときの文さんの感じも覚えてるんですけど。その記憶もあったから、ウェブサイトに「インターンの募集、終了しました」って書かれてたけど、「インターンやりたいんですけど」ってここに連絡入れたのが始まり。
文:募集終了やのに。
田中:そうなんですけど。でも、その頃、めちゃくちゃ忙しそうで、連絡入れた後に誰も返事してくれないから、またこちらから電話して「いつから行ったらいいですか?」って聞いたら、「え、ほんなら今日から来て」って。で、来てみたら「豚キムチつくれる?」っていきなり言われて、私もまだ猫かぶってたから、「つくったことないけどやれますよ」って(笑)。

右から文さん、横堀さん、田中さん。
―文さんはダンスボックスの設立時から関わっていますよね。そもそも3人の役割、担当みたいなものって決まってますか。
文:私は1996年の設立時からいるから30年、事務局長って肩書きでやってきたけど、事業の担当もするし、まあ、なんでも屋。
横堀:私は、自分で勝手にプログラムディレクターという肩書きを付けて、いろんなプログラム、とくに国際交流の企画や劇場を出ての活動をやってきました。自由にやりすぎて、文さんに「無駄働き多すぎや」って結構、言われたりして。
文:遊んでばっかりやから(笑)。
横堀:仕事してても遊んでるように見えただけなんですけどね。
田中:私は、今は主に「国内ダンス留学@神戸」(※新長田での滞在型育成プログラム、すでに100人以上のダンサーや制作者を輩出)の担当をしていて、アウトリーチ事業のファシリテーターもやってます、最近はあまり行けてないけど。でも、その担当だけやってたら済むならいいけど、そういうわけにもいかないのがダンスボックスで。
文:スタッフのお弁当買いに行ったりとか。一応、それぞれの事業ごとに担当はあるけど、そのフォローに別の誰かが入って、支え合い、助け合いながら。なので担当以外の仕事もする必要があって。
田中:そもそもこの業界自体がそんなに縦割りじゃないのかも。
横堀:ミーティングもずっと不定期でしたし。
文:最近は強制的に月1でやるようになった。それでも他の組織よりもコミュニケーションは圧倒的にとれてると思うよ。とにかくみんなで喋ってる時間が長いから。雑談をしてる時間も長いけど。

そもそもダンスボックスって!?
―大阪から新長田へ2009年に移ってきて以降、ダンスボックスは「ダンス」だけで語れないほどに事業の幅が広がり続けています。自分たちではどういう活動体だと認識されてるでしょう。
文:大阪でやってた頃は、地域との付き合いにしても、ダンスボックス対地域という感じでもっとクリアやったけど、長田に来てからはダンスボックスのボリ(横堀)と地域の誰か、とか、さっちー(田中)と誰かが繋がってるみたいな感じで、ダンスボックスの枠組みがふにゅふにゅ溶けだしてる感じがする。だから、余計にわかりにくいのかも。
田中:私が2011年に入ったばっかりの頃は、街にポスターを貼りに行ったら、そこで街の人につかまってそのまま2時間帰れないとかも全然ありました。あ、日本の仕事ってこういう感じなんやなって(笑)。ドイツから戻ってすぐダンスボックスに加わったので、正解を知らないままで。
横堀:そのわかりにくさはありますね。けど、舞台の公演に関してはしっかり打ち合わせをしなくてもそれぞれが動けるので、それはすごいことやと思います。
文:舞台に関する実務は私たちにとっては当たり前のことというか、もうルーティンになっていて、そこからはみ出たことばかりやろうとするからいつも大変なことになりがちなのかもしれない。シンプルに舞台の現場だけに専念したら、そこのスキルはあるんやと思う。
田中:あとは公演に関してはチームで動けるから、誰かがあれをやったら、こぼれてたここはをまた別の人がやるっていう自然とフォローに誰かが入っていく、まあ、虫の集団みたいな感じになってるから、特に役割分担もなく動けてその場の対応力はあるのかも。
横堀:そこは、劇場を拠点にずっとやってきたことの強みかもしれませんね。
田中:ただ、入ってから一回も教えてもらったような記憶はないので、どうやってうまく回ってるのかはわからないけど。
文:だから、若いスタッフに伝えるためにも、30年目で初めて社員研修しようかってこないだ話してたところで。いろいろとすり合わせる時間を持とうって。
田中:それなしでずっとやれてきたのはすごいけど……費用対効果はどうなんでしょう、よかったのか悪かったのか。まあ、ダンスボックスでの1日をどんな風に動いてるか挙げていったときに、ほぼ無駄な時間ばっかりって思うときもあったり。でもね、この無駄に救われてる人もけっこういると思う(笑)。
文:そうやね。
田中:そんな私がここに長く居続けられたのは、一緒に働いてる人もそうやし、大谷さんがそのことを別に称えてくれるわけではないけど、許してくれてたのが大きくて。いや、どうやろ、裏では怒ってたかもしれんけど(笑)、でも、一回も「ちゃんとせな」って言われたことはないから。
横堀:大谷さんは「さっちーにちょっと捕まってな」とはよう言ってたけど(笑)。
田中:まあ、こっちが一方的に話してた時間が長かったかも(笑)。けど、許されてるからこそ、自分でやることをやらなければという気持ちにもなったかな。
横堀:私は最近、個人的な活動としてベトナムの水上人形劇の公演をやったりしましたけど、やっぱりダンスボックスの活動とは全然違うんですよ。個人でやることの心もとなさがあるなって。だから、ダンスボックスというチームでずっとやってきたことの強みも感じています。フリーランスの制作者で子育てしながら携わるのが大変だからって、制作の仕事を辞めてしまった人も見てきました。私も子育てをしながら舞台の制作を続けるって、ダンスボックスじゃなかったら絶対無理やったと思います。

絶妙な3人のバランスと今後のこと
文:そう思うと、ボリ(横堀)はやりたいことがずっとあるよね。私とは真逆で。私なんかは常にふわっとしてるから。この3人の見てる方向が全然違うのがいいバランスなんやと思います。
田中:私もだいぶふわっとしてる方ですけど。
横堀:やりたいことはいつもいっぱいあって。でも、わりとこの仕事をもうやめるやめる詐欺もしてたから。コロナ禍の頃かな。
田中:もっと前、2017年とかには言ってたはず。でもこの公演やったらやるとか言って。
横堀:ほんま、私こそいつクビになってもおかしくなかった(笑)。けど、やっぱり個人でできることの限界もわかってきたし、ダンスボックスで私がやるべきこともあるかもしれないというので、やり始めたのが大谷さんの冊子で(※ボックスブックスという出版レーベルを立ち上げて、大谷燠さんの人生録『1 まぁええがな』『2 そんなこともありましたな』を刊行中)。まだ全然途中なんですけどね。でも、こないだ東京で小出版をやってるところを見学して、そういった活動を公演とどうやって並行させながら成立させるかも少しずつ見えてきた気がします。
―そんな感じのダンスボックスで今後やっていくつもりのこと、それぞれにありますか。
田中:いきなり違う感じの答えになるかもですけど、やっぱり次の世代のことを考えていて、私はもっと自由に動こうと思ってます。たとえば、「国内ダンス留学」にしてももう10年以上続いてるけど、そのポジションを全然、次にゆずろうとしてなかったなっていう反省があって。もっと私の場所を移動させなあかんなって。私がやってることをもっといろんな人にも共有して、ということを考えなければと思いはじめています
文:私も自分が若手としてやってきた頃から30年経って、この場をどうやって若い世代に移していくかも考えていかなあかんなって思う。アーティストも街の人も昔からのお客さんも、すごく幅広い世代の人がダンスボックスと関わってくれてることはすごく豊かなことだと思ってるからこそ。

―では、この先、地域のなかでダンスボックスがどんな役割を果たしていくか、ということについては何か思うところはありますか。
文:私らが地域に出て活動をやってきたと言っても、まだまだ出会ってない人がたくさんいるし、見つけてない地域の魅力もたくさんある。建物の4階にあるこんな小さな劇場のことなんて誰も知らない、ってことを忘れないようにしながら、常に意識的に開いていきたいなと思っています。そうやって風通しのいい場所にした上で、ここが何もない空っぽの場所ではなく、魅力的な、いい匂いのするところになるといい。
田中:最近、ダンスボックスにインターンで来てくれている学生たちのことを見てると、新長田の街自体に興味を持ってる人が増えてきたなっていう印象で、自分の住んでる街では地域とのつながりを持つことが難しくても、ダンスボックスを通して新長田でなら街との接点を持てるんじゃないかと思ってもらえてるみたいで。そういった地域とのつながりもダンスボックスの役割として認知されるようになってきたのも、この数年くらいのことで、その役割をちゃんと果たしていくのも必要かなって思います。
横堀:私はやっぱりこの劇場があることが強みやと思うので、地域の同窓会でも結婚式でもいいから、ここを使いたいと思ってくれる人をもっと増やしたい。韓国の高齢者の間でディスコが流行ってるってかなり前に聞いてから、私はここでディスコの企画をやってみたくて。そんな私が思ってるのとも違う、さらに斜め上を行くような形で使ってもらえる場になればな。
田中:それで言うと、この劇場をいちばん違った形で利用していただいているのはキックボクシングですよね(※新長田のキックボクシングジムSFKの自主興行の会場として劇場が利用されている)。あのキックボクシングの選手たちにダンス公演を観に来てもらえるようにできたらなって。
文:あとは学校でのアウトリーチをよくやってた頃は地元の子どもらとの距離も近かったけど、最近は全然アウトリーチにも行けてないから。公演だけじゃなくて、いろんな入口はもっと増やしていかなあかんよね。

掲載日 : 2026.04.22


