今夜、シタマチで。vol.10 しみじみ苅藻編 by平野拓也

第10弾は、和田岬を出発し、ちょっと足を延ばして苅藻までを散策しながら飲み歩き。今回のはしご酒人は、神戸市のクリエイティブディレクターの平野拓也さん。総勢7名の大所帯で、新鮮なお刺身がおススメな串カツ屋さんと、焼き方の指南を受けられる韓国焼肉屋さんをめぐります。道中で何気なく目に留まる「鉄塔」からふと脳裏に浮かぶ故郷の情景へと思いを馳せる夜。そんなノスタルジックな一夜の旅をお楽しみください。

文:平野拓也 写真:岩本順平


取材同行班との待ち合わせのため、海岸線「和田岬駅」に到着したのは昏れなずむ頃で、労働着やスーツを着た社会人たちが背を丸めた同じような姿勢で帰路に帰ろうとしている。その何人かは何かの引力(その力は労働を終えた僕の身体も知っている)によってお店の中に吸い寄せられていく。ほのかな灯りと甘じょっぱい肴の匂いがする。和田岬に初めて降り立つ前までは、ここは三菱重工業造船所や川崎造船所を主とした製造業の島と聞いていたので、地図で見た形から比較的新しい埋立島なのだと思っていたら、江戸時代に勝海舟が砲台を作って、実戦を想定した場所で、歴史は古い。
昭和の匂いを残す喫茶店や看板、街の作りが各所に見られる通りを歩くと、待ち合わせ場所の駄菓子屋「淡路屋」が見えた。店主さんらしき人が遠目から手を振ってくれたが、街にもお店にも来たことない僕は、最初、自分に手を振ってくれてるとは気付かなかった。近づいても手を振り続けるので、周りを確認したら僕しかいない。「平野さんでしょ?」と言われ、うなづくとそそくさとさらに通りに入ったところにあるアメリカの片田舎にありそうなパブに取材同行班はいた。なぜか僕の住む街の住人の旧グッゲンハイム邸の管理人であるアリさん、ナオキさん、イラストレーターの山内さんもいた。「オッス」と軽く返事し合う。別件で打ち合わせをしていた彼らととりあえずビールを一杯いただく。空きっ腹だったので直ぐに酔う。淡路屋の店主は伊藤さんという方で、駄菓子屋界隈では有名だとの話だが、このコラムですでに取り上げられているとのことだったので、ここでは省略。伊藤さん含め、軽妙で気兼ねない人々だったので、お酒は進んだが、ここはどうやら取材予定ではないとのことで、飲み干す前に店を出ることになった。途中で勤務先のこれまた気兼ねない要員の市役所の山田さんと合流して、和田岬から兵庫駅の方角に向かって歩くことになった。

この土地に詳しい伊藤さんに民俗や風俗の説明を交えていただきながら、路地を蛇行して進む。歩いている途中にビルの間を鉄塔がいくつかのぞいていた。多分、普段は気に留めない。今回は執筆前提であるから、普段よりも風景に敏感になっていたのだろう。僕の故郷の鉄塔を無理矢理に意識にフェードインしてきた。僕の地元は茨城県のひたちなか市という場所で、日立製作所のお膝元にある。直径数キロにもなる広大な土地を有する製作所をフェンスが囲んでいる。幼少期には至る所に田んぼや農地があったが、それらの従業員たちが住むための新興住宅地が増えていった。所謂工業地帯だが、絵に描いたようなスモッグ立ち込める街ではなく、暮らすには何不自由ない。毎朝夕に作業着やスーツを来た方々が、僕とは入れ替わりに駅に向かうだけだ。幼少期から抱えていたこの街に薄っすらとかかっていた幕があった。インフラはある、でも僕を育ててくれる文化がなかった。例えば、本屋はできても数年後には必ず潰れ、今ではブックオフしかない。100円コーナーの文庫本と漫画本、ちょっと高めの美術本。喫茶店の本棚しかない。しかない。当時はそう思っていた。今こうして当時の記憶を思い起こすことができるのは匂いだったり、質感だったり、色だったり、実は情報としての記憶以外にも学んでいたんだと年を重ねるたびに気づくのだ。酩酊はともに感傷を引き連れてきてしまいます。工場地帯にある謎の塔。往々にして敷地面積と平地を必要とする工場群に立つ謎の塔は、地平線の中に忽然と姿を現した巨兵のように、悠々と佇んでいるのである。一杯目のビールとともにこの街が僕にノスタルジイを連れてくる。この街には、それを引き連れてくる起因が其処彼処にあるのだった。

その後、バウハウスを感じるロゴがついた老人施設やヴェトナム寺、チョコレートが買えると言うしょう油精製工場など、道中にミスマッチな組み合わせのもの達(ぜひ他にもたくさんある様々なミスマッチを街歩きをして探して欲しい)がこの酔いどれミステリーツアーに拍車をかけてくれる。そして、取材は断られたが、和田岬線のとある駅を降りてすぐのところにある労働者の漢が集まる簡素だけど、適度に繁盛している(適度なのが重要)立ち飲み処に寄る。ここで、さらに市役所の同僚である高槻さんと合流。お酒を入れながら只々彷徨いながらの街歩きも面白いが、もう少し、ベクトルを見つけることを(酔った頭で)会議し、そこから去ったのだった。ただ一つ、この店での後悔は関西ではメジャーだと言う「おばけ」と言う魅力的な名前の鯨料理を食べれないことだった。また今度、来る理由ができた。

そこから、町屋が軒を連ねる下町通りに入りながら、結局20分くらい彷徨った(この日は火曜で最初に行く予定の店が開いてなかった)。途中にまた何度か鉄塔が軒の間からのぞいていた。漸くまた歩くと、牡蠣の貝殻が店の軒先きに敷き詰めてある居酒屋「串カツひろや」に入ろうと思ったが、8時で閉店したと言う(2時間近く歩いていたことになる)。ここで伊藤さんが店のご主人と知り合いということで話をつけてくれた。

串カツひろや

とても気さくなご主人と女将さん(当初、奥さんだと思っていたら従業員だった)が快く迎えてくれた。串焼きがメインで、その機械も洗浄中だったので閉める準備中に申し訳なく思ったが「あるもので良ければ」と言いつつ、そそくさと準備してくれたお通しのバイ貝の酢の物がとても美味しかった。酢の物は味と身を締めてくれる分、素材自体の鮮度が問われるので、これを食べてこの居酒屋の魚に対するこだわりが浮き彫りになった。それから、大きなホッケが出てきた。ビールがすすむ。ホッケって一人で食すには大きすぎるし、ご飯のお供にするには淡白だし、贅沢に感じてしまう。これは、家族や居酒屋で友人とワイワイ吟味するために設計された魚なのだと思う。

壁に貼ってあった子どもが描いたご主人だろうイラストが情緒を誘う。その後は、私が中華屋に入ったら必ず頼む大好きなキクラゲの卵炒めと唐揚げというワンツーがきて、嗚呼、僕の心を読むなんて。きっとハイボールに切り替えたから、気を利かせて食べものをセレクトしてくれたのかなと、勝手に心理描写するのだった。

お店のご主人とはユーチューブの話で盛り上がりながら、締めてもらってから開いてもらったので「また改めてきます」という約束をして、出て行くことにした。居酒屋でのこのお互い適当に社交辞令でもなく、挨拶して出て行く感じはほんと好きだなあ。下町や地元感が引き立つ。出るタイミングで「この店のオススメはなんだったんですか?」と聞いたら、実は串焼きではなく、お魚の刺身だったようだ。ここでバイ貝の伏線を回収。やはり、「また来ます」と重ねて言うのだった。

そこからまた歩いて国道2号線より一つ手前の路地を平行に歩きながら、「ここは押さえときましょう。多分、焼肉の概念変わるので」と言う取材ディレクターのカメラマンからオススメされた韓国系の焼肉屋に向かう。焼肉「牛車」。下町エリアなのにあまりお店の明かりがない中に、植物とネオンで交錯した光が鈍く反射し、如何にも異彩を放つお店がポツンとあった。もう夜も11時をを回ろうとして、駅からも遠い場所なのにほぼ満席に近い状態だった。

焼肉 牛車

頭に花柄の頭巾をしたもう何十年も切り盛りしているのであろう元気な女将さんが出て来て、10人くらいの大所帯を詰め込んでくれた。マッコリとビールピッチャーを早速持って来て、酔え、と仰っていただいているようなその組み合わせを嗜みながら、大きな銀のトレイに運ばれた赤身の脂がギラついたお肉たちを、網の上に誘っていく。次々に出て来るお肉たちをトングで裏返して行くと、女将さんが現れて、「そんなんじゃ、美味しい火の通りにならない」とトングを使って指南してくれた。「よく見ておいて」。4秒に一回ひっくり返す。薄い肉は7回、厚い肉は12回。韓国式の丸い網の上で焼かれるので、回転するようにひっくり返して行くと丁度4秒くらいになる。なので、延々と回し続けるのだ。牛(肉)のメリーゴーランド、もしくはマタドール。牛たちはその如く、新鮮なので、レアとミディアムと中間あたりでそれぞれの小皿に振り分けていく。途中何度か手つきが悪くて焼き方がイマイチと指導を受けたが、美味しいタレのおかげも相乗して多少の焼きミスでも美味しい。途中で頼んだ参鶏湯(サムゲタン)も美味しい。韓国料理は薬膳由来のものが多いと聞くが、ここの参鶏湯は鶏の味もしっかりしつつ滋味深く、アルコールで浸された身体に心地よく浸透していった。

それぞれの手法で生きる芸術家たちとの最も印象的なトークは「デッサンの必要性」についてで、二立に別れた。僕は基礎や土台の上に自己形成してきたので必要ある側であったが、最初から平行線になるだろうということは両者わかりながら議論する。宵のピークに論理的な~、客観的な~、など平静を装うような無粋なことをしたなと反省の思いと、鉄塔の情景としばらく帰れてない故郷のテクスチャを思い出しながら、帰路を進んでいった。大事なのは「正しさ」から外れること。酔の賢者たちとともに、もっと自由に街で酒を嗜むことに、次は身を任せたいと思う。