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神戸の新しい魅力に出会うウェブマガジン

シタマチコウベ

Shitamachibudie

vol.05

萬歳湯|綿貫功一さんにまつわる4つのこと

地域の中で銭湯が担う、たしかな役割

2018.05.05

1932年、先々代がはじめた駒ヶ林の「扇港湯(せんこうゆ)」に続き、1945年にできた「萬歳湯」。熱めのお湯に、電気風呂とサウナ。脱衣所でも浴場でも、常連さんと思わしき人たちが、自分の家みたいに過ごしている。ロビーに行けば、テレビを見てくつろいだり、ときには宴会が行なわれ(ているように見える)たり。地域のみんなのリビングとして愛され続けるこの場所を、3代目の番台さんとして綿貫功一さんが守り続けています。

文:山森彩 写真:岩本順平

 

2足のわらじを履いて、番台さんデビュー


僕は、婿養子としてここへ来たんです。もともとは、建設コンサルタントの会社でサラリーマンをやってた。お義父さんのあとを継いで、3代目。萬歳湯は1945年から、ここで営業して73年目。お義母さんはお寺から嫁いできて、去年亡くなったんだけど、番台生活72年。2代目の頃はまだ、朝3時まで営業していた。再開発事業区域の中に、飲み屋街もあって、夜の仕事を終えた人たちが来たりしてたから。長田港も勢いがあって、靴やゴムの産業も盛んで、神戸の副都心と言われるくらい商店街も隆盛していた時代もあったみたいです。阪神・淡路大震災と同じ1995年に、お義父さんが脳梗塞で倒れて店に出られなくなってしまって。僕がサラリーマンをしながら店を手伝うことになったんです。番台と金銭管理を担当して、妻が釜場の面倒を見るようになった。朝7時に家を出て、22時くらいに帰ってきてフロント座って、1時に終わる。出納帳つけて、銭湯の裏の自宅に戻って、寝るのは3時。3年ほど前まで、そんなかけもち生活を、20年くらい続けてましたね。

 

一歩踏み出したら、あっという間に地域の中心メンバーに

震災のときは、フロントと脱衣所が全壊したけど、湯船は残った。当時は、材料も人手も足りなくて。ご近所の銭湯の工事をしていたお風呂工事専門の業者さんにお願いして、同じ年の8月10日に再オープンできたんです。うちの長男坊が少年野球のチームに入って、僕も監督を引き受けたりするうちに、地域の人たちとのつながりができてね。「土日は13時間遊んでる」って妻に怒られながらやってたけども。義父は、地域の中に入っていくんが得意ではなかったから、それまではほとんどつながりがなくて。震災のとき、孤独な姿を見て考えさせられるものがあったなぁ。同じ野球チームにいた、ご近所で呉服屋を営む中谷さんと親しくなって。今では僕のことを”こーちゃん”と呼んでる。ここの銭湯にもよく来てくれて、料理を娘に教えてくれたりしてる。その中谷さんに背中を押されて、消防団や真陽ふれあいのまちづくり協議会(ふれまち)に参加するようになりました。当時は、サラリーマンをしながら何足ものわらじを履いていて、ほんまに忙しかった。でも、地域と関わりたいと思っている自分がいましたね。

 

ステージに立つことも、この地域らしい活動のひとつ

ここは真陽地区というところで。毎年神戸まつりと同じ時期に開催している「真陽フェスティバル」は、地域で30年続く大きなお祭り。真陽南さくらグラウンドが会場で、地域の人たちが出店して、焼きそばやかき氷を売ったりしてね。ぜんぶ200円以内。ほんで、大きなステージで演劇やダンス、音楽の発表を鑑賞しながら食事をするのが恒例行事。いつも2000人くらいお客さんが来ます。テンポ…コンテンポラリーダンスっていうの?DANCE BOXに来ていたプロの人と同じステージに立たせてもらったこともあります。それがきっかけで、「ビッグハラダイス」というグループができて、おかげで僕も、人生で初めてギャラをもらいましたわ。腹囲95センチ以上、お腹が出た男性ばっかりのコーラスグループ。そうやっていろんな人とつながって、ふれまちでイベントを手がけたり、真陽ゆめまちづくり協議会では地域のインフラを整えていく活動をしたり。今は、若い人も増えてきたかな。六軒道で「r3」を運営してる合田くんも、ここの常連さんやけど、ようあそこで商売しようと決めたなと思って。お店に若い世代の人たちがたくさん出入りするのを見て、僕らとは違う感覚を持ってるんやなぁと感心してます。

 

“銭湯”の印象は変わっても、在り方は変わらない


数年前に来た子どもが、うちの浴場を見て「せまい!」って言うんです。今は、スーパー銭湯が基準なんですよ。石鹸やシャンプーも浴場に置いてあるのが標準。僕らもその目線にあわせていかなあかん時代。できる工夫はしたいと思って、中ジョッキ250円、おでんは一品100円で提供してます。商売的にはほとんどマイナス。利益のある銭湯なんてごくわずかちゃうかな。お湯は重油で焚いてるんだけど、もしもの時に備えて、薪でも対応できる釜なんです。以前、ボイラーが故障したときは、近所の人たちが木材を集めてきてくれて、薪でお湯を焚いて営業したこともあります。「休んだらええやん」って僕は言うたけど、妻が「絶対に休まへん」って。ここで生まれ育って60年以上。やっぱり意気込みがちゃいますね。時代が変わっても、銭湯はコミュニティの場ですわ。毎日来る人もおって、近所の人たちと、ここのロビーで夜な夜ないろんなこと話したりね。そこで新しい企画や関係が生まれて、活動の幅も人脈も広がる。一人暮らしのおじいちゃんやおばあちゃんも、銭湯に来たら、知らん人とも話できますやん。銭湯は、そういう場を提供してるんやと思ってます。だから、なんぼ経営が厳しくてもこういう銭湯はなくしたらあかんと思ってます。

萬歳湯 | 銭湯番台
綿貫功一さん

1984年、奥様と結婚し、萬歳湯の後継者に。建設コンサルタントの会社に勤めながら、夜は番台を務め、現在は3代目の店主。真陽地区の地域活動にも積極的に参加し、真陽まちづくり協議会、真陽ゆめまちづくり協議会のメンバーとしても活躍。

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